2012年8月13日月曜日

Modern Architecture in Shanghai / 近代建築散歩 上海・徐家匯天主堂

徐家匯天主堂(1910)
聖母院(1869)

上海最大のカトリック教会がある徐家匯とは、徐一族の村という意味だ。徐家は、科学者徐光啓(1562-1633)に始まる。彼は、明が発達した文明国家となるには、西欧の宗教と科学を取り入れなければならないと主張した。

徐光啓は中国で最初にカトリックに改宗した人物であり、幾何学原本などの西欧科学書を翻訳し、西欧科学の普及に努めた。しかしながら明政府はこれを受け入れない。徐光啓の主張が受け入れられないまま、徐光啓は死去した。その直ぐ後、明朝政府は滅亡する。清朝政府になっても、未だその主張は受け入れられず、西欧的宗教の禁止にまで至った。

しかし、アヘン戦争で状況は一変した。アヘン戦争によりキリスト教が解禁されると、フランスイエズス会の宣教師たちは、次々と上海を訪れた。選んだ場所は、『聖地』徐家匯だった。ようやく、徐光啓の願いがかなったのだ。中国と西欧の宗教と科学が、ここ徐家匯で交じり合い、新たな文化を作り上げることになったのだ。

1851年には、旧徐家匯天主堂が竣工される。1910年には、現在も残る天主堂が竣工された。天主堂のほか、次々と宗教施設が建てられた。今でも幾つか残っているが、天主堂と道路を隔てて向かい合う、現レストラン上海老站は1869年竣工のかつての聖母院だ。

ここ徐家匯は、復興公園やフレンチクラブから淮海路や復興路を西に数キロのところにある。復興公園やフレンチクラブがフランス租界の社交エリアなら、ここ徐家匯は、フランス租界の宗教的中心地だったのである。

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