2022年3月5日土曜日

武蔵七党、村山党の痕跡を辿る、その2, 金子氏

前回は狭山丘陵の周りを、村山氏、宮寺氏、山口氏と巡りました。

痕跡は残ってましたね。時空を超えたexploreでした。

村山氏の居館跡、福正寺はあの眺望が効く立地そのものが痕跡でした。

宮寺氏の居館跡、西勝院にはズバリ土塁と堀が残ってました。また、宮寺五郎家平も拝んだ薬師さんも見ることが出来ました。

山口氏に関しては、山口城址として土塁が残ってましたし、瑞岩寺には山口高実の墓が残ってました。礎石に刻まれた永徳3年は山口高実が足利氏満・関東管領山内上杉と戦い、敗れ、自害した年と一致していました。



村山党は、武蔵平一揆で没落しましたが、全滅はせず、その後は、関東管領山内上杉氏、その守護代・目代大石氏に仕え、後北条氏が制覇した後は後北条氏に属して、と、主を変えながら巧みに、終わってみれば500年程生きながらえたのです。

さて今回は、狭山丘陵から少し離れた、加治丘陵を支配地とした金子氏の痕跡をexploreしたいと思います。



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輪行しようかと思ったんですが自走しました。42kmです。

保谷狭山自然公園自転車線から青梅街道、飯能街道で金子に向かいます。ここはあともう一息という所で、茶畑越しの加住丘陵越しの秩父の山々です。

まずは、入間市指定史跡、金子氏一族の宝篋印塔を見に行きます。

金子十郎家忠が開基となった、今は廃寺となった金子氏の菩提寺、瑞泉院がありましたが、ここに、この地に徳川の支配が及んだ1590年頃、本貫地を離れることになった金子氏一族が、この地で400年程続いた先祖供養の為、造立したとされる6基の宝篋印塔があります。

金子氏一族の宝篋印塔

桓武天皇ー葛原親王ー高見王ー高望王(平高望)ー平良文ー忠頼ー忠常(恒) (押領使)ー胤宗ー村山頼任(村山貫主村山党祖)ー頼家(村山貫主)ー金子六郎家範ー十郎家忠

十郎家忠は1138年生まれ、1216年没で、保元の乱で源義朝に従い、平治の乱では鎌倉悪源太こと源義平(頼朝の異母兄)に従い、治承・寿永の乱では源頼朝に従ったという、ゴリゴリの源氏派で、これら3つの戦いでも活躍しました。

その直ぐ南、同じ敷地内と言っても良いでしょう、には、桂川神社があります。

桂川神社

別当が先の瑞泉院だったので、金子十郎家忠の屋敷の鬼門除けに創建されたとも言われています。

旧道を東に進み、高養寺です。

民家のような風貌の高養寺

風土記によれば、金子越中守家定の開基とのこと。

金子六郎家範ー十郎家忠ー家高ー重高ー重氏ー朝重ー家兼ー政兼ー朝兼ー家治ー家朝ー家範ー家綱ー家長ー政助ー越中守家定

1545年、関東管領山内上杉氏、扇谷上杉氏、古河公方足利晴氏は、北条綱成が籠もる河越城を8万の軍勢で囲みます。

この8万の大軍勢の中にいたのが金子越中守家定の祖父家長、父政助で、北条氏康は、この金子親子に対し、後北条方に寝返るよう催促した判物が残っています。後に訪問する高正寺に残る金子家系譜によると、1545年に、家長・政助親子は後北条氏に属したとあるようです。

翌年1546年、かの有名な河越夜戦で、後北条氏は大逆転勝利を得ました。

しかし、この時、扇谷上杉方の重臣として活躍した難波田弾正憲重が討死していますが、この難波田氏は、金子十郎家忠の兄、高範を祖とする村山党金子氏の一派です。家忠・高範の時代から400年の間に、血縁による関係が薄れていったことが伺えます。

その後、1575年、北条氏照は、下野に進出し、榎本城、小山城を攻略していきますが、帯同したのが金子家定です。

先を行きましょう、ここは一度、渡来の道シリーズで訪れています、寺竹の白髭神社です。

懸仏には金子家定の銘があります。

金子十郎家忠が社殿を造営したと言われています。

寺竹白髭神社から南に行き霞川を渡ると茶畑に上がっていく坂となりますが、ここを馬頭坂と言い、上がり切った辺りに嘗て金子十郎家忠縁の馬頭観音堂がありました。

馬頭坂

さて、加治丘陵の南側の痕跡は以上の通りで、旧道を東進し、塞の神を過ぎた辺りから北上し加治丘陵越えとなりますがこの坂を金子坂と言います。

金子坂を上り切った所から北の眺望

加治丘陵を越えて入間川の谷に降りるとそこは仏子で、金子十郎家忠の弟、金子伊豆守親範の支配地となります。

住宅街を抜け金子坂を北に下ります。

つまり、金子坂は、金子家忠・親範兄弟が行き来した坂だったということになります。

仏子の高正寺です。

高正寺

風土記によれば、開基は金子伊豆守親範で、この寺には、家忠、親範、畠山重能長女で家忠の妻、武田信義娘、親範の妹で源重國妻、家忠長子(家高?), 平山季重娘、家忠嫡孫(重高?), 千葉成胤娘の位牌があります。秩父党、西党、多田源氏、そして甲州武田とも姻戚関係を結んでいたんですね。

最後に、八坂神社です。

家忠神社が合祀

ここには、そのものズバリ、家忠神社が合祀されています。

さて帰りは入間市景観50選旧サイクリングコース北コースで戻ります。

ホントは桂川神社まで行くつもりでしたが、足が残ってませんでした。それと、鈴を忘れたこともあって入間市景観50選旧サイクリングコース北コースのみで終わりにしました。

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如何でしたでしょうか。

金子氏は村山党の中でもしっかりと情報が残っている方ですね。

それだけ、長く続いたということなのだと思います。

1590年の秀吉の小田原征伐では、金子家重が、八王子城のその名も金子曲輪で最後まで戦い抜くも討ち死にしたという記録が残っています。

金子六郎家範ー十郎家忠ー家広ー家繁ー忠広ー武蔵守忠重ー忠親ー家祐ー家重

それと、金子氏と言えば以前から気になっていて、以前も記事にしてますが、調布市・三鷹市の金子氏です。

この辺は嘗ての金子村で、入間と書いて、"いりま" と読むんですが、そのような地名もあり、入間川という川も流れています。

風土記によれば、島屋敷遺跡には、中世に金子時光が、天正期には金子弾正の屋敷があったとあります。

また、金子村の中心は金子厳島神社なんですが、そこはこの通り、

賽銭箱、2020/5撮影

手水舎、2020/5撮影

後北条氏の家紋、三つ鱗がそこかしこに。

ということで、調布市・三鷹市の旧金子村は、村山党金子氏の、"金子" なのかもしれません。

帰りの保谷狭山自然公園自転車線にあった河津桜