滝坂道、環七との位置関係 |
パート1でも使用した地図だが、滝坂道は、コジマNEW若林店の北の道をそのまま東に行く道だ。やがて、都道423に合流する。この辺りから、都道423号は淡島通りと呼ばれる通りとなる。平坦な道が続くが、太子堂中学の辺りから緩やかに下り始める。淡島の交差点が谷底だ。滝坂道は、淡島の交差点の手前を右斜めに入る。都道420号との交差点、追分に、庚申塔などが集められた祠があった。
滝坂道、淡島交差点の庚申塔群 |
そのまま道なりに進むと、Up/Dwonの犯人、北沢川があった。
滝坂道、北沢川 |
ビックリしたのは、水が非常に綺麗なこと。アメリカザリガニや、きれいな婚姻色に染まったヤマベが確認できた。
滝坂道は再び淡島通りに合流する。下った道を再び緩やかに上り、筑波大付属駒場高校の辺りでお地蔵さんが続けて2つあった。
滝坂道、筑波大付属駒場高付近のお地蔵さん |
滝坂道、駒場地蔵尊 |
都立駒場高校を過ぎた辺りから、再び下る。下った先は松見坂の交差点、山手通りとの合流だ。滝坂道は、山手通りの直ぐ脇の道だ。勾配を緩やかにする為嵩上げされた山手通りに階段で上り、真っ正面の道、ここが滝坂道だ。山手通りを渡って直ぐのマンションの入り口付近に、石橋供養塔があった。この坂を登り切った辺りに、嘗て、三田用水があったことに由来する。坂を登り切り、旧山手通りを渡りそのままの道が滝坂道だ。道は再び下り、又上がる。上がったところが道玄坂上、終点だ。
それにしても、渋谷は本当にUp/Dwonの多いエリアだ。地形図を見てみよう。
滝坂道、松見坂、道玄坂 |
左下の黒い線が目黒川、右上は渋谷川だ。松見坂の交差点の谷は目黒川の支流が削った谷、道玄坂の谷は渋谷川の支流が削った谷である。
それと、今は若者の街、渋谷だが、明治初期の地図を見てみる。
説明を追加 |
一面、畑、茶畑、樹林地など、のどかな田園風景だったのである。坂上からの眺望は、さぞ、美しかったのではなかろうか。美瑛のように。
ここから先、日比谷湊(日比谷公園)へは、渋谷駅を通り、宮益坂でR246に合流し、三宅坂から内堀通りを日比谷公園までの道筋と思われる。律令の時代や鎌倉時代には、江戸城は無かったから、この道ではないかもしれないが、少なくとも、江戸に入ってからはこの道と思われる。
さて、滝坂道、パート6まで及んだが、これでようやく完成である。最後に、滝坂から人見街道の推定道筋、道玄坂上から日比谷湊までの推定道筋を加えた、滝坂道の全工程の地図、それと、地形図を載せ、滝坂道のご報告を終わりとさせていただく。
御付き合いいただいて、ありがとうございました。
より大きな地図で 滝坂道 を表示
滝坂道、全工程地形図 |
本当に、Up/Dwonを避けて道が作られている。パート1でご紹介した、赤で囲っているエリアは本当にものの見事だ。それより西の仙川、東の北沢川、目黒川、渋谷川は仕方が無いだろう。避けようとすると大回りとなってしまう。
今まで、古道Exploreは、江戸期の地図、明治初期の地図を頼りにしてきた。今回、地形が密接に絡んでいることを知った。幅が広がった。非常に興味深かった。
以上
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