2012年12月21日金曜日

One Hundred Famous Views of Edo by Hiroshige Utagawa, Winter No.111 ""Robe-Hanging Pine" at Senzoku no ike"

Present View
Painted by Hiroshige in 1856 - 1858

大田区南千束にある洗足池を描いたこの絵は、名所江戸百景の冬、第110景で、題を、「千束の池袈裟懸松」という。

池の南にある高台からスケッチしたと思われる。手前に茶屋、右真ん中に主役の袈裟懸松、左奥には千束八幡(鳥居が見える。)がある。手前で旅人が歩いているのは中原街道だ。

現在の写真をご覧いただきたい。手前の白い建物は喫茶店、中央やや左に黄葉したイチョウが確認できると思う。それが千束八幡だ。撮影場所は、中原街道の歩道橋の上だ。アングルとレンズの関係で松は写ってないが、150年経過した今も、ほぼ、雰囲気を残している。

この池は湧水を集めているのだが、季節も手伝い、だからか、水も非常に綺麗だった。

この辺りの住所は、「千束」なのに、何故、池の名前は、「洗足池」なのか。伝説では、日蓮が足を洗ったと、言われている。

日蓮は、日蓮宗の総本山、身延山久遠寺から常陸に湯治に向かう途中、ここに立ち寄ったという。時に、1282年9月だ。

この時、袈裟を掛けた松を袈裟懸松といい、現在は六代目だ。

袈裟懸松

しかし、日蓮は、結局、この地でその生涯を閉じてしまう。そこで開かれたのが、"大"本山池上本願寺だ。

しかし、1282年から、「洗足池」と呼ばれるようになった割に、1856ー1858年に描かれた名所江戸百景では、「千束」と書かれている。

「千束」という地名は、平安期の文献にも見られる古い地名で、洗足池は、元は、「千束の大池」と、呼ばれていた。

広重は、古来の呼び名を採用したのだろう。

尚、ここ洗足池公園には、他にも歴史的見所がある。是非、訪れていただきたい。

千束八幡
860年、宇佐八幡を勧請し創建の古社。三大八幡は、宇佐、石清水、筥崎あるいは鶴岡。
宇佐は725年、石清水は860年、筥崎は921年の創建だから、相当古い。
この時代、平家も源氏もまだ関東には来ていない。では誰が勧請したのか。秦氏だろう。
洗足池弁財天
勝海舟夫妻墓所

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