新宿御苑旧洋館御休所 |
旧御凉亭 |
旧御凉亭 |
一枚目の写真は、新宿御苑にある、旧洋館御休所だ。
新宿御苑は、 信州高遠藩主内藤家の下屋敷跡で、1902年(明治35年)から4年の歳月をかけて1906年(明治39年)5月に皇室庭園として再開発された。
この建物は、1896年(明治29年)に、温室を訪れる皇族の御休所として建設されたもので、 1860年代から1890年代にかけてアメリカで流行したスティック・スタイルを基調とした、 現在では希少な洋風木造建築物だ。
二枚目、三枚目の写真は、同じく新宿御苑に今も残る、旧御凉亭だ。この建物は、皇太子(後の昭和天皇 1901-1989)の御成婚を記念して、1927年(昭和2年)10月に、台湾在住邦人から贈られた、本格的なビンナン建築様式の建物となる。
昭和天皇のご成婚は1924年(大正13年)、その頃、台湾は、日清戦争により日本の領土となっていた。その後、第二次世界大戦で日本が敗れるまで、その統治は続いた。
しかし、何故か、台湾の人達には、親日家が多い。聞くところによると、日本統治時代に、社会インフラを整備し、暮らし向きが良くなったからだという。第二次世界大戦で、日本は、中華民国に敗れた。当時の中華民国の首領は、蒋介石だ。蒋介石の終戦宣言の一部をここに記す。
「わが中国の同胞は、『旧悪を念わず』と『人に善を為す』ということがわが民族伝統の高く貴い徳性であることを知らなければなりません。われわれは一貫して、日本人民を敵とせず、ただ日本の横暴非道な武力をもちいる軍閥のみを敵と考えると明言してきました。今日、敵軍はわれわれ同盟国が共同してうち倒しました。彼らが投降の条項をすべて忠実に実行するように、われわれが厳格に督励することは言うまでもありません。但し、われわれは報復してはならず、まして無辜の人民に汚辱を加えてはなりません。彼らが自らの誤りと罪悪から抜け出すことができるように、彼らがナチス的軍閥によって愚弄され、駆り立てられたことに、われわれは、慈愛をもって接するのみであります。もし、かっての敵が行なった暴行に対して暴行をもって答え、これまでの彼らの優越感に対して奴隷的屈辱をもって答えるなら、仇討ちは、仇討ちを呼び、永遠に終ることはありません。これはわれわれの仁義の戦いの目的とするところでは、けっしてありません。これはわれわれ軍民同胞一人一人が、今日にあってとくに留意すべきことであります」
蒋介石は、その後の中国内戦に敗れ、台湾に逃げ延びた。
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