その中で新たなテーマとして浮かび上がってきたのが、天祖神社です。天祖神社は私の世田谷区のイメージではありません。世田谷区 = 吉良氏 = 八幡様のイメージが強いからです。
そこで、世田谷区の天祖神社を調べてみました。
より大きな地図で 世田谷区の天祖神社 を表示
調べてみると意外に多いですね。
青が天祖神社、赤が天照大神を祭神として合祀している神社です。
この辺りは伊勢神宮の荘園だったのかな? ということで世田谷区と荘園の関係を調べてみると、この辺りは菅刈庄と呼ばれていたことを思い出しました。
しかも、経堂天祖神社にほど近い稲荷森稲荷神社のサイトの説明では、稲荷森稲荷神社は古くは菅刈社と呼ばれていて、菅刈庄にあって菅刈の名を冠しているのだから、稲荷森稲荷神社の辺りが、菅刈庄の中心地であったと書かれています。
稲荷森稲荷神社 |
上記地図では、世田谷区と同じく菅刈庄だった目黒区の天祖神社、天照大神を祭神として合祀している神社を緑でプロットしています。
しかし、菅刈庄が伊勢神宮の荘園だったか調べてみましたが、そのものズバリの答えは出ませんでした。
以前住んでいた江戸川区では、平安時代末期の1165年頃、領主 葛西三郎清重が、領地を伊勢神宮に寄進しています。同じ頃、世田谷区を領地とした大名は誰だったか。後の喜多見氏、当時の江戸氏でした。江戸氏といえば秩父・豊島氏の庶流、葛西氏も同じ。平安末期、税金対策と土地を守る為に有力寺社に領地を寄進して荘園化していたことは盛んに行われていましたから、葛西氏と同じ一族だった江戸氏も、世田谷区の辺りを伊勢神宮に寄進し荘園化し、菅刈庄となった可能性もあるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿