復元された一丁倫敦の象徴、三菱一号館 |
江戸時代は錚々たる顔触れの大名屋敷が並んでいた丸の内。
1858年の丸の内 |
維新後は、あの、大岡越前で有名な南町奉行所が在った関係からか、司法省が置かれたり、その他、練兵場など陸軍関係の施設が置かれていました。
明治13年、1880年の丸の内 歴史的農業環境閲覧システムより出典 |
明治27年、1894年、日清戦争勃発の年、三菱一号館が竣工します。翌年には二号館が現在の明治生命館の場所に、翌々年には三号館が竣工し、馬場先門から鍛冶橋までの通りは、一丁倫敦と呼ばれました。
一丁倫敦、Wikiより |
現在。奥の明治生命館が夕日に照らされ。 |
現在の丸の内、私はとても好きな街です。岩崎弥之助や荘田平五郎も喜んでるんじゃないかな。
0 件のコメント:
コメントを投稿