Painted by Hiroshige in 1856 - 1858 |
Photo by myself in 2013 |
広重の絵を見ると、坂の右側に川があります。これは、溜池からの用水路で、溜池から続く江戸城の堀の役割を担っています。ちょうど、ここが溜池からの落ち口だったわけですね。筋は、銀座八丁目と新橋の間を通り浜離宮に繋がっています。今は首都高になってます。
それから、何やら屋台は出ているは、夜というのにそれなりに人通りはあるはで、賑やかですが、それは、葵坂を下って右に折れるとそこに金毘羅さんがあるからです。絵を見るとただの坂ですが、名所として取り上げられたのは、これが理由だったのです。金毘羅さんは今でも同じ位置にあります。
1858年製古地図 溜池の下に松平肥前守の屋敷がありますが、その右側が葵坂です。 突き当りを右に行くと赤い背景で『コンヒラ』と書かれています。 その敷地には、『京極佐渡』と書かれてますが、讃岐丸亀藩主京極家の屋敷です。 だから、金毘羅さんなんです。 |
より大きな地図で 虎の門外あふひ坂 を表示
さて、金毘羅さんを過ぎ、大きな通り(外堀通り)に出ると、正面に文部科学省があります。その左脇に石垣が確認出来ます。ちょうどここに虎ノ門があったんですね。その一部が残されています。説明書きは一切ありませんが・・・
江戸城虎ノ門の石垣 是非、近くで見てください。石垣は、徳川将軍家が大名に作らせましたが、 担当した大名家の家紋とかが彫られています。 |
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