真言宗豊山派青龍山勝国寺 |
山号の、「青龍」は、近くを烏山川が流れているからか。
開基は、吉良成高の子、政忠。1554年、世田谷城裏鬼門除けの為、政忠12石を寄進し開山なる。
円光院、円乗院、多聞寺、泉竜寺、善性寺、密蔵院を末とした、小本寺の格を持つ。
1554年といえば、扇谷上杉氏は既に滅亡、甲斐武田氏と越後長尾氏=後の上杉謙信は、まだ、関東には手を付けずの状態だった為、関東は後北条氏の天下、当面の脅威は無かった。
さすれば、烏山川の手前で、東からの敵から守るという防御の意味合いはあったろうが、具体的に、誰のどの城という様な想定は無かったと見る。
後に、上杉謙信が関東に進出してくる1560年以降は、重要な意味を持つ様になる。
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