2013年2月16日土曜日

Temples and Shrines related to The Kira Family, Kitazawa-hachiman / 世田谷区の吉良氏所縁の寺社、北沢八幡

北沢八幡
七沢八社隋一正八幡宮

世田谷七沢八八幡随一

鎌倉道太子堂八幡ルートの少し東に位置するこの北沢八幡は、今からおよそ500年前の文明年間(1469~84年)に、世田谷北辺の守護神として、吉良氏により創建された。

1469~84年というと、長尾景春の乱の真っ最中だ。長尾景春の乱のクライマックスは、江古田・沼袋原の戦いで、長尾景春側についた豊島氏の練馬城、石神井城、平塚城が、吉良成高属する山ノ内・扇谷両上杉氏側の、当面の敵だった。

地図を見て欲しい。


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練馬城、石神井城、平塚城の位置(3城とも赤ポイント)、江古田・沼袋原の戦場(緑ポイント)は、鎌倉道(緑ライン)が通っている。つまり、豊島氏が、世田谷城に進軍する場合、正に、このルートを通るのだ。

北沢八幡は、豊島氏から世田谷城を守る最前線の砦として、創建された。

この眺望を見てほしい。

北沢八幡、南の眺望。多摩川まで見えただろう。

こうなってくると、北沢八幡から世田谷城へのルート上にある他の寺社にも、軍事的意味合いを求めたくなる。

まずは、より北に位置する滝坂道(赤ライン)だ。

・杓子稲荷神社

長尾景春の乱の頃、既に創建されていた杓子稲荷神社は、創建当時こそ、純粋に鬼門鎮護の為、創建されたと思うが、長尾景春の乱の頃には、軍事的意味合いを持つ様になったものと推定する。

杓子稲荷神社は、北沢八幡から世田谷城へのルートである滝坂道付近にあるが、その立地は、鎌倉道世田谷宿ルート上でもある。鎌倉道世田谷宿ルートは、笹塚で、鎌倉道太子堂八幡ルートと接続している。

杓子稲荷神社から北に進み東を見るとこの道が尾根道だということが分かる。見晴らしが良かっただろう。鎌倉道太子堂八幡ルートを南進する豊島氏の軍勢が良くみえたはずだ。

鎌倉道世田谷元宿ルート、杓子稲荷神社から北に進んだ地点の東の眺望。
見晴らしが良く、尾根道だということが良く分かる。

非常に重要な軍事的意味合いを持っていただろう。

次は大山道だ。

・太子堂八幡

創建は、源頼義・義家親子が奥州征伐に向かった1061年。長尾景春の乱の頃は既にここにあった。ここはこの南の烏山川が削った谷に向かう下り坂となっている。勢いよく下ってきた軍勢にカウンターで迎撃したのか。

・駒留八幡

創建は1308年、北条左近太郎こと、北条維貞の勧請。長尾景春の乱の時、既にここにあった。世田谷城の砦として活用されたろう。

・大吉寺

今は浄土宗だが、元は、勝国寺と同じく真言宗豊山派。吉良氏祈願所。開山年は不明。1491年開山の烏山泉澤寺の末。泉澤寺開山からすぐ開山したのだとしたら、ここ大吉寺も、軍事的意味合いがあったろう。

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