さぁ、白子神社の次は、鶴ヶ島の白鬚神社です。今回は北から南へ進みます。
ここも、716年の高麗郡成立時に、郡内に26 (また新しい数字)の白鬚神社を勧請した内の一つということです。これで6つ目ですね。
また、ここは雨乞いが有名で、藁、竹、縄で作った大きな蛇を白鬚神社から雷電神社へ移動させるということで、これはまた、稲城の妙見寺の蛇より行事と似ている、妙見 = 北辰 = 玄武 = 高麗王若光と連想しましたが、目的が異なるので関係は無さそうです。
先を行きましょう、笠幡の白鬚神社です。
埼玉の神社によれば、ここも高麗郡成立時の神社です。7つ目です。
ここ笠幡には、何故か、大山阿夫利神社と箱根神社があるんです。
人の移動があったことを示唆します。
箱根神社ですが、箱根神社に伝わる、"箱根権現縁起絵巻"によると、
『昔、天竺の斯羅奈国の大臣源中将には、姫の常在御前と、その義妹、霊鷲御前の異母の二娘があったが、継母は性悪で常在を無きものにしようとした。そうした義姉を妹霊鷲が事あるごとに気遣っていたが、中将が不在中に危難に遭った二人は波羅奈国の王子、太郎と二郎に救われ、おのおのその妃となる。その後、帰宅した中将は、人生をはかなみ入道して二人を捜し、波羅奈国で二娘と再会、やがて後世の願いのため五人で日本に渡海することを決心、五人が海を渡り到着したのは相模国大磯の浜であった。 上陸した五人は高麗寺にいったん止まったが、箱根山という霊験あらたかな場所のあると聞き、そこに至った。父中将入道と霊鷲・二郎夫妻が箱根に永く止まることとなり、一方、常在・太郎夫妻は伊豆山に入ることとなった。中将ら三人が神となったのが箱根三社権現、常在・太郎夫妻が神となったのが伊豆山二所権現である。』
と、言うことで、大磯の高来神社(高麗寺)と箱根神社はただならぬ関係があり、その箱根神社がここ高麗郡に祀られているということです。
先を行きましょう、こんな素敵な古道を戻って、
高萩の駒形神社です。
駒形神社、境内をよく見ると木がたくさん切られているのが分かります。1300年もの歴史がある神社です。鬱蒼とした鎮守の森も残してほしかったですが、周りは新しい住宅街で、だから残せなかったのでしょう。神社だけでも残ったので良しとしましょうか。 |
白鬚じゃないの?!
ということですが、境内案内によれば、
"当社は、高麗若光によって、霊亀2年(716年)に創建されたと伝えられる。社記によれば、若光は、当地開拓にあたり、まず、猿田彦命、武内宿禰命の2柱を祀り、次いで、居住地の東方に保食命、天石戸別命、日本武尊の3柱を祀ったと記し、これを当社の創始としている。また、駒形は高麗方に通じるとも言われ、当社と高句麗人とは深い関わりがあったと思われる。現在では、当初と異なるご祭神が迎えられているが、その変遷は不詳となる。"
ということで、これで8つ目ということになります。
駒形 = 高麗形は強引なこじつけではなく、このシリーズのこの回でも事例があります。
さて、この辺りは女影という地区で、高麗郡の郡寺である女影廃寺があったとされるエリアです。
南北には中世では鎌倉街道上道となった古道と高麗街道の辻に当たり、交通の要衝でした。
先を行きましょう。
上記のような素敵な風景の中、前回訪れた白子神社まで来ました。ここを南に折れ、前回実走した飯能街道を南下し、加治丘陵を越えます。
ここは滝山古街道で鎌倉街道の脇道だったようです。
動画も入れましたが念のため写真も
森の中に掘割道が残ります。中世、あるいはもっと前から変わらぬ風景でしょうか。
そしてここにも、高麗郡成立時に創建の寺竹白鬚神社があります。
埼玉の神社によれば、
"当地は霞川流域にあり、古くは金子郷寺竹村と称した。金子は『古今要覧稿』姓氏の部金子の項に、物部監古連公は葛野韓国連の祖であるとあり、霊亀二年高麗人の当地入植にかかわる地名である。当社の創建もまたこの時であり、高麗人の祀る神がこの地に祀られたものであろう。"
と、あります。
先を行きましょう、こんな素敵な古道を行きながら。
箱根ヶ崎の狭山神社です。
そもそも箱根ヶ崎の地名の由来ですが、この狭山神社に祀られている箱根大権現のようです。
私はこんなにも各地を歴史をテーマにexploreしていますが、箱根以外で箱根神社を見たことがありません。
それがここにはもう2つも。やはり、高句麗渡来人入植の地だからでしょうか。
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如何でしたでしょうか。
白鬚神社がこれほどまでに集約しているとは、驚きでした。
白鬚神社の本社は滋賀県ですが、それがここ旧高麗郡エリアに集まっていると考えるよりも、旧高麗郡だから集まっていると考えた方が自然ですね。
また、面白いのは、そう言えば隅田川沿いの墨田区にも白鬚神社が集まってますが、岩井堂観音の縁起を聞くと、隅田川周辺も高句麗渡来人の縁の地かもしれませんね。
箱根神社、大山阿夫利神社の存在も、大磯とこの地の人の移動を物語っており、ひっそりと歴史を語っているんだなぁと大変興味深かったです。
次回はいよいよ本シリーズの最終回、高麗神社、聖天院を巡ります。
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