2020年1月6日月曜日

古道グラベルロード&トレイル、稲城南山~平尾~黒川〜小野路〜真光寺〜寺家

ここの所、出張続きだったのと、なんと言っても台風で、チャリに行けてない。

次回は渡来の道シリーズの第4弾で、奥多摩に行く予定で、紅葉も楽しみにしてたんですが、暫く断水状態だったし、通行止めも多く、生活舗装道路でもそうなんだから、山道なんて言わずもがな。そうこうしている内に時期も過ぎてしまいました。

そろそろ落ち着いたから奥多摩に行こうと思ってるんですが、その前にもう少し軽目のサイクリングで足を慣らさねば。

しかし、もう本当にこの辺りは行き尽くして、同じ所はモチベーションが上がりません。そこで、同じ所でもモチベーションが上がるよう、大好きな里山癒やしルートを構築しようと思いました。

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まずは稲城南山に残る鎌倉道を行きます。

歴史的農業環境閲覧システムより迅速測図(1880~1886)、稲城南山、旧村名武蔵国多磨郡百村

ほぼ真ん中を縦に走ってる片実線片点線、これは当時の地図記号では村道ですが、この道が鎌倉道七曲ルートです。その西の、グニャグニャと2回した後、二股に別れその後再び合流する一本実線(当時の地図記号では荷車道)が、鎌倉道大道ルートです。

下図は上図と全く同じレイアウトの現代地図ですが、下図のように、鎌倉道七曲ルートは開発の為、消失してしまっていますが、、、

現代地図、稲城南山。ちょっと分かりづらいかもしれませんが、一番東(右)の一本実線(H14式地図記号では軽車道)が鎌倉道大道ルートです。その東に何も無いということは、つまり、七曲ルートは消失しているということです。

、、、大道ルートは、途中までですが、比較的良好に残ってくれています。

山に入って直ぐの切り通し

その先。朝の時間帯だったので、東からの朝日が当たって、落ち葉もフカフカで、最高に癒されました。

下の写真は南~西周りで南山山裾を周回し稲城駅方面に戻っていく迅速測図一本実線ルートです。

この写真の右部、小高い所が南山三角点126m地点です。この先、明るくなってますが、南西側が開けてて眺望が良くベンチもあって超お勧めのランチポイントです。

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津久井道を行き、坂浜から平尾を経由し、平尾から多摩郡・都築郡郡境尾根から黒川に抜けましたが、ここに迅速測図で一本点線(徒歩道)だったシングルトラックが残ってました。

結構下ってるのでロードでは乗車不可、押しで行きました。

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黒川に入ります。

歴史的農業環境閲覧システムより


まずは総鎮守汁守神社。


創建年詳らかならずも、行基作の本地仏不動明王像が御神体とのこと。もしかしたら行基の時代、1300年前まで遡れるかもしれません。

それともう1つ、汁守神社の面白いのはその名前で、大國魂神社の膳部・汁物を担当していたことから、この名となったということです。汁物があるなら・・・

さて、そのまま村道を行き、毘沙門天堂に行きます。ここは昔金剛寺という真言の寺があって、そこに行基作の毘沙門天像が祀られていたそうです。

行基で繋がりましたね、汁守神社と。

近所の寺社間で、伝承が混ざってしまう例は少なくなく、汁守神社と毘沙門天堂もその例かもしれませんが、何れにせよ、ここ黒川の地は、上手くすれば行基の時代、つまり、1300年前まで遡れる可能性があります。

金剛寺は廃寺となりましたが、毘沙門天像はその後毘沙門天堂で祀られていたのですが、H7年になんと盗まれてしまったそうです。今あるのは新しいもの。

毘沙門天なのに鳥居、首がもがれた六地蔵は廃仏毀釈の爪跡か。現場に行くと、何とも言えない独特の空気感があります、ここは。

村道は今よこやまの道と呼ばれる一本実線の尾根道に交わり、それを行きます。国士館から谷戸に下りる迅速測図一本実線を行き、再び黒川の谷戸に戻り、都築郡・多摩郡郡境尾根を経由して小野路に向かいます。写真は撮れませんでしたが、ここで狸に遭遇しました。休んでた所に私が行ったものだから、ビックリして山に逃げて行きました。スマン!

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小野路ではまず東光寺に向かいます。ここからの眺望が素晴らしいので。

遠く霊峰大山を望み、雲が無ければその右に富士山。眼下には別所の町並みが見えます。

別所という地名に東光寺ですから、東北から俘囚として連れてこられた民がここに住まわされ、産鉄していたのかもしれません。そう言えば東隣は今行った、"黒川"。"黒"は、"クロガネ(鉄)"から来ている産鉄地名です。黒川は三沢川の源流域ですが、その三沢川は下写真のように水酸化鉄を多く含む川でした。やはり、ここで産鉄していたのではないでしょうか。

オレンジ色が水酸化鉄。ここの米はミネラル豊富で旨い筈!

東光寺から軍事戦略鎌倉道を南下します。下堤では掘割の鎌倉道が残っています。


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鶴見川の谷まで下ったら大蔵ですが、ここから真光寺まで村道を上がっていきます(坂浜から平尾への上りもキツカッタんですがここも負けず劣らずキツカッタ!!!)。

歴史的農業環境閲覧システムより


ここには飯守神社があります。


黒川には汁守神社、布田道となっている尾根を越えた真光寺には飯守神社があるのです。

こちらは1650年創建が明らかですが、汁守に対して飯守と、ここら辺りは大國魂神社の膳部を担当していたということですが、何故、この地だったんでしょうね。確かに、府中へは遠くはないですが、ここと府中の間には幾らでも膳部となり得る地があったと思うんですが。不思議です。

飯守神社の後は、先程の下堤の軍事戦略鎌倉道まで再び上り返します。登り切った所は古道5差路になっていて、そこから南東に魅力的な一本点線徒歩道の尾根道があったからです。

しかし実走してみると大した眺望は無く、あっという間に鶴川小学校まで来たんですが、そこにとっても素敵な通学路がありました。

そう言えばここは以前来たことがありました

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真光寺・大蔵間の村道を再び大蔵まで戻り、大蔵、能ヶ谷を経由し三輪に入ります。

三輪の高蔵寺は桜の季節とってもきれいですが、さすがにこの季節は・・・と思っていたら、蝋梅の蕾が膨らんでました。


ここ三輪は花の季節、とっても良い所です。お勧めです。

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三輪から多摩郡・都築郡郡境尾根を越え、寺家に入ります。

歴史的農業環境閲覧システムより


現代地図で、鶴川女子短大と書いてある尾根。この尾根の東西に谷戸があり、そこに村道が走ってます。良く見ると、東側の村道は、尾根の所でクイっと西に折れています。つまり、西側の方がメインの道っぽい。と、いうことで今回はここを西側の村道から探りに行きました。

まず、そのまま南下する道は通行止め。こどもの国の敷地なんですかね。東の村道にクイッと行っている道は、、、


、、、途中までは道が通っていたんですが、100m進んだ所で私有地となってしまい進めず。結局東の村道に移り、切り通しで尾根を越え、寺家に入りました。


切り通しはかなりの迫力でした。でも迅速測図を見ると、切り通し記号は無いし、東西に尾根を行く道も通っているから、もしかしたら1880~1886年当時は、この切り通しは無かったかもしれません。


寺家の谷戸はいつものように静かで(若干車が多いですが)癒されました。

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本当はこの後鉄と早野の間の尾根、この尾根道は足利尊氏伝承があるんですが、ここを行き、王禅寺、石川と行く予定だったんですが、確かに、癒されはしたんですが、上りが多く、久々のサイクリングということもあって、足腰が限界となり、津久井道に出て家へと帰ったのでした。でも津久井道も弘法の松の辺りまでの上りは大変キツカッタ!!!です。

癒やされはしましたが、体力的にキツカッタ!久々のサイクリングでした。

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