しかし、正確にいうと、実は、まだあったんです。しかも古道で。
それが、今回探検する、凧坂と半田坂です。
二股に別れていて、向かって右が半田坂、左が凧坂です。半田坂の登坂途中で、鎌倉道は右に折れます。
名前の由来ですが、凧坂は、高い坂、高う坂、凧坂と訛った様です。半田坂は、頂上付近に半田塚があり、この辺りを半田村と言っていたからです。
凧坂・半田坂下 自転車の二人を見ると、『さぁ、上るぞ』という空気感で出ていますね。 |
追分にある馬頭観音 |
半田塚 |
坂を登り切るとそこは甲州街道。そこから先北には延びてませんから、甲州街道を経由して南に向う道だったことが分かります。
もう一つ、縦ラインの古道があります。実はこれも鎌倉道です。以前、ご紹介しています。
鎌倉時代は、武蔵国の中心は現在の府中で、江戸城ではありません。又、平安・鎌倉海進もあり、東京低地は歩くのが困難でもありました。よって、官道や鎌倉道は、台地上のルートをとったのです。
だから、縦のラインは鎌倉道と重なるんですね。