右膝を痛めてしまいました。
1/6, 月曜日の仕事始めの日、神田神社に初詣に行き、新年会に雪崩込み、店を出た時に右膝に激痛が。翌日、医者に行くと半月板損傷とのこと。暫くはMTBトレイルライディングもジョギングも出来ないので、この三連休はマヒーマコノヒーです。と、いうことで、前々から手を付けようと思っていた歴史関連の調べごとに勤しみます。
1/2, 今年の初詣は訳有って"出世の階段"愛宕神社と代々木八幡の出世稲荷に行きましたが、その前に、しっかり、我が地元の氏神様である経堂天祖神社にも寄りました。
前々から思ってたんですが、なんで経堂の氏神様が天祖神社なのか。だって経堂駅よりかなり西、むしろ、千歳船橋の方が近い所にあるからです。
昔から、神社はその村の中心にありました。経堂も、昔は天祖神社の近くに中心地があったのでは? と思い、調べてみました。
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1805年作図の目黒筋御城絵図 |
この古地図は、1805年作図の目黒筋御城絵図です。左下に、『経堂在家』とあります。ここに経堂在家村があったということを示しています。普通、その村の中心地に村名を書くでしょうから、江戸時代は、この辺りが経堂の中心地だったのではないかと思われます。
『経堂在家』の村名の左の、『稲荷』。これは、稲荷森稲荷と思われます。その上の、『神明』。これが、経堂天祖神社です。
『稲荷』、『経堂在家』キャプションの下の道は六郷田無道。滝坂道はちゃんとキャプションがありますね。今は車がすれ違うのに苦労しますが、当時は大きな道だったんです。六郷田無道と滝坂道の間の川、これは烏山川です。
現在の地図に合わせてみましょう。
オレンジの道が滝坂道、ブルーのラインは烏山川、グレーの線は六郷田無道です。ポイントは、左から、赤が稲荷森稲荷、青が経堂天祖神社、青ピンが目黒筋御城絵図の左側の橋、赤ピンは右側の橋、今の経堂大橋です。緑ポイントは常徳院、紫が杓子稲荷、ライトブルーが世田谷八幡、黄色が豪徳寺、紫が勝光院です。オレンジの囲みが、『経堂在家』キャプションの辺りです。
明治13年の古地図とも合わせてみましょう。
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明治13年の古地図
※歴史的農業環境閲覧システムより |
『経堂在家村』の文字が地図真ん中から左下に縦に書かれています。
『堂』の上の道が六郷田無道の北道。『在』の上は六郷田無道の南道です。その追分の辺り。そこは今は桜丘小学校です。その右の縦の道。これは二子道、現在の経堂駅から南へ延びる農大通りです。
上記現在地図で、明治13年古地図の『経堂在家村』キャプションを緑で囲んでみました。
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やはり、今の経堂駅周辺ではなく、烏山川の南側、経堂天祖神社の南側辺り、桜丘小学校の辺りが経堂(在家村)の中心地だったんですね。
これで一つ疑問解決です。
PS.
しかし、なんで天祖神社なんですかね?
天祖神社はこの辺りのイメージじゃないな。天祖神社は要するに伊勢神宮です。以前住んでいた江戸川区には沢山の天祖神社がありました。それは、江戸川区の辺りは伊勢神宮の荘園だったからです。伊勢神宮雅裳苑を持っていたころは平安時代。世田谷区内の地名が初見されるのは1274年だから、鎌倉時代。それより前の世田谷の歴史を探る手掛かりか?
また一つ、右膝痛が治るまでの暇潰しが見つかった。良かった、良かった。