滝坂道、古府中道との追分 |
滝坂道はここを左に行くのだが、右の道も大化の改新より前に成立したと言われる相当な古道で、古府中道と呼ばれている、府中に続く道だ。
暫く行くと、八幡山一丁目のところで、滝坂道は途切れる。HondaCars東京中央を過ぎ、交差する道を横切りそのまま進み、突き当りを右に行き都道118号に出たら、都道118号を渡り、ファミリーマートの角を右に曲がり、交差した道が滝坂道だ。ここを左に行く。※地図参照
暫く行くと、突き当りとなり、右を向くと、八幡山の地名の由来となった、八幡神社がある。
滝坂道、八幡山八幡神社 |
創建年は不明とのことだが、吉良氏が源氏、足利の流れを汲む家であることと、源氏と八幡神社の関係を考えると、遅くとも、吉良氏の時代には創建されていたと思われる。
そのまま進むと滝坂道は明治大学八幡山グラウンドの南端に沿って進み、やがて、下り坂となる。滝坂道 南道以外、滝坂道の本道では初めての下りである。環七⇔東京世田谷線の間のご報告でもご報告したが、あれだけ避けていた低地への下りに、とうとう捕まるのである。
下った先は、避けに避けてきた、あの烏山川だ。
滝坂道、烏山川 |
今は川は暗渠とされ、緑道となっている。
そのまま道なりに行くと、環八と都道118号線の交差点、千歳台に出る。この後滝坂道は、都道118号線となり、緩やかに上りながら広い道が続く。暫く進むと榎の交差点に出る。ここで、南東⇔北西方面に交差する道が、古道である六郷田無道である。ここから滝坂道は南西に進むが、ここから再び細い道となり、古道の風情が復活する。
自転車で5分もしない内に、又、下りとなる。折角、烏山川低地から上って来たのに。下り坂の途中で、恐らく新しいものと思われるが建てられた時期が不明の、富士見小路の石碑があった。少し行くと、右手に安穏寺がある。
滝坂道、富士見小路石碑 |
滝坂道、安穏寺 |
安穏寺の写真を見れば、どれだけ下っているかお分かりと思う。
安穏寺は真言宗智山派で、途中、荒廃時期があり正確な開山年は不明も、元禄年間と言われている。曹洞宗ではなく真言宗。元禄、つまり、徳川の時代であり、吉良氏の時代ではない。だから、真言宗ということか。
坂を下りきったところに、お地蔵さん、庚申塔、馬頭観音が集められていた。
滝坂道、安穏寺坂下石像群 |
ここで交差する道も江戸期には存在していた道ではあるが、この集められ方からして、元からここにあったわけではないだろう。
直ぐ先で祖師谷公園を右に見て、仙川を渡る。岸と川面の落差が激しい。石神井川のように、嘗ては渓谷だったことを偲ばせる。
滝坂道、仙川 |
滝坂道を渡ってすぐ右手に、上祖師谷神明神社と石橋供養塔がある。
滝坂道、上祖師谷神明神社 |
滝坂道、石橋供養塔 |
さて、ここから再び上りだ。下ったら、上らなければならない。もう一度言うが、あれだけ避けてきたのに、何故、この道を選んだのか。この道が、律令の時代に成立し、武士の時代=軍の時代である平安、鎌倉、戦国時代も使われていた滝坂道なのか、疑問に思ってしまう。
上り切ってファミリーマートを過ぎると直ぐの追分に、庚申塔がある。
滝坂道、追分の庚申塔 |
滝坂道、追分の庚申塔ズーム |
滝坂道は、都道114号線を横切り、島忠ホームズ、桐朋学園、京王線を過ぎると、とうとう、仙川二丁目の交差点で甲州街道に出る。
長くなったがあともう一息。仙川二丁目の交差点を渡り、西に向かうと直ぐに甲州街道から右に分岐する坂がある。これが滝坂道だ。
滝坂道、滝坂 |
雨が降ると、雨水が滝のように流れ落ちるから滝坂道と呼ばれた。分岐点には、滝坂道の案内石標がある。
滝坂道、滝坂案内石標 |
坂を下る。途中に薬師如来坐像とお地蔵さんがある。古道Exploreしていて、初めての薬師さんである。『何故?』とよく観察してみると、墓標だった。生前、病気で苦しんだのか、あの世では苦しむことの無いよう、薬師さんを墓標にしたのだろう。愛、感謝だ。
滝坂道、薬師さんとお地蔵さん |
滝坂道はこの後甲州街道に接続して終わる。
さて、振返ってみると、実際にサイクリングしてみて、ここが本当に滝坂道なのか疑問に思ってしまうほど、高低差があった。烏山川の高低差はまだしも、仙川の高低差はなかなかきつかった。戦国時代、ここを、甲冑を着て走り抜けるのはきついだろう。
又、課題が見つかった。この道が本当に律令の時代に成立し、戦国時代利用されていたのか?
次回は滝坂道と、滝坂道から府中に続く道をご報告する。滝坂道から府中に続く道は、色々と調べたが、これといった情報が無い。だったら、推理するしかない。
以上
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