2013年9月7日土曜日

Modern Architecture in Japan, Tokyo Station, Marunouchi of Chiyodaward, Tokyo / 近代建築散歩、東京駅

夕日に輝く東京駅
東京駅の開業は、1914年、大正3年でした。

ドーム
日本の鉄道の歴史ですが、1872年、明治5年に新橋 - 横浜間で始まったというのは皆さんご存知の通りです。東京駅の南側ですね。その後、北は上野 - 熊谷間が1883年、明治16年に開通。西は1889年、明治22年に新宿 - 立川間が。1895年、明治28年には飯田町まで東に延長となり開通しました。東は、両国橋駅をターミナルとして1904年、明治37年に開通しています。


煉瓦高架橋、これも明治の遺産


東京駅の周りだけ、ポツンと空いていたんですね。

岩崎弥之助が一丁倫敦に着手したのを三菱一号館だと置くと1894年、明治27年のこととなります。

今の地図を見ると、丸の内の中心は東京駅ですが、それが無いまま、20年もの間、一丁倫敦だけが、ポツンと原っぱにあったということになります。だから、当時は、「三菱ヶ原」と呼ばれていたそうです。

東京駅開通後、東京駅から皇居に向かって西に真っ直ぐ伸びる行幸通り、ここに、大正7年、1918年に、海上ビルディングが竣工しました。続いて郵船ビルディング、日本工業倶楽部会館は大正9年、1920年。丸ビルは大正12年、1923年に竣工し、煉瓦造りの一丁倫敦に対し、アメリカ式鉄筋コンクリートのビル群が並ぶここは一丁紐育と呼ばれました。


このような意匠も残る。

現在の一丁紐育、東京駅より皇居を望む


ここ丸の内地区は再開発が行われ、今や、高層ビルが林立しています。が、よく見ると、百尺でデザインを分割し、嘗ての一丁倫敦、一丁紐育を忘れていないんだよというメッセージを発しています。

皇居より東京駅を望む


丸ビル、新丸ビル、日本工業倶楽部、日本生命丸の内ビルと高さ百尺でデザインが分割され統一的な景観を作り出している。

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