2020年2月16日日曜日

世田谷の民話、『なわの大蛇で村を救う』の娘が井之頭池に行った道筋

「娘がいなくなった」

上北沢村でのできごとでした。娘がいなくなった鈴木家は家がらもよく、当主の宗保と妻は、だれからも親しまれていた人でした。

それだけに村人たちは、

「あの末娘にかぎって……。人ごとではない」

と、自分の子どもがさらわれたように、心配したのです。

村のおもだった人たちが、かわるがわる娘をさがしに走りまわりました。あるときは甲斐の山路に、上野(こうずけ)の宿場にと、いなくなった娘のうわさを聞くたびに、みんなで手分けしてさがしました。

占師のところにもずいぶん相談に行き、東の方といえば東へ、西の方といえば西にと、たずねてもみたのです。

ところが、ひと月ほどたったある夜ふけのことです。いなくなった娘の声が、宗保の家のうらから、かすかに聞こえてきました。

「父さま、母さま、心配をおかけしました」

だが、どうしたことか、しばらくぶりに聞く娘の声とわかっても、宗保と妻はおきあがることができなかったのです。

また、娘の美しい声がしました。

「私は、いつまでも家や村をお守りするために、井の頭の池の主のところにお嫁入りしたのです。さがさないでそっとしておいて下さい……」

娘の声がとぎれて、立ち去るけはいです。両親はやっとおきあがることができました。いそいで雨戸を開け、月あかりにてらされた庭を見ると、草や木はおしたおされ、そこには一本の道すじができていたのです。井の頭の龍神に嫁いだかわいい娘が、たずねてきたあとだったのです。夫婦は、娘の名を呼びつづけ、おしたおされた草や木の上を、はだしのままで走りつづけると、その道すじは井の頭の池でばったり止まっていました。

「娘は、井の頭の池の主のところに、ほんとうにお嫁入りしたのだ……」

夫婦は、娘の幸福をいのって手を合わせました。

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上記は世田谷の民話、『なわの大蛇で村を救う』ですが、赤字&ボールド&下線した道筋を推測し、実走してみたいと思います。

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上北沢の鈴木家と言えば、上北沢村の名主で、現在の早苗保育園と区立緑丘中学校が邸宅だった。鈴木家は代々当主が左内を名乗ったが、早苗保育園の"早苗(さなえ)"は、その左内(さない)から来ている。

ここには、娘の両親が、娘が井之頭の池の主、龍神に嫁いだ後に建立した左内弁財天がある。ここが基点だ。

左内弁財天、画面左、男性が歩いている道は嘗ての北沢川

現在の地図、グレーのポリゴンが鈴木家敷地、赤マーカが左内弁財天

迅速測図、明治13~19年、ポリゴンはアースに移行しないようなので、赤マーカで位置関係をご理解ください。その上で、現在の地図と見比べてみてください。明治13~19年と言えば交通手段が江戸時代と同じですから、道も江戸時代とほぼ同じと考えて良いですが、残ってますよね、今も。鍋を横から見た断面図のような形の道筋が。

さて、道筋はどうか。下図のように、方角としては北西に向かう。また、赤ラインは、井之頭道の本道とも言える、甲州道中からの道筋だ。


だから一旦甲州道中に出て、というのが、考えられる道筋の一つである。迅速測図を再度確認していただきたい。

画面上、東西に走るひと際太い道が甲州道中だ。北西方向ということを考えれば、鍋断面図の片側実線片側点線、これは村道だが、ここを北北西に行き、東北東に行く一直線の村道に出合ったら、その後はその村道を突き抜け一本実線(こちらは荷車道、だから幅一間(1.8m))で甲州道中に抜けられる。ここを西に行けば井の頭道の甲州道中の基点に出られる。

井之頭道の甲州道中基点には、井之頭弁財天道の立派な道標が残っている。

しかし私はこの道ではないと思っている。

"玉川上水の内、井の頭-高井戸間は、江戸時代以前に、井の頭の水を利用する為に、鈴木・秦(久我山)両豪族が掘削していたと言われる。"

これは、鈴木家がある上北沢の上北沢桜並木会議のサイトに記載されていた内容だ。玉川上水の井の頭〜高井戸間は、鈴木家が掘ったのである。江戸時代より前に。ならば、井の頭池の竜神に嫁いだ鈴木家の娘にも馴染みがあっただろう。

だから私は、娘は、玉川上水の土手道を行ったのではないか、そう思っている。

下図がそのルート。青ライン。赤ラインは既述の本道。下記写真の撮影地点は青マーカ。


玉川上水、岩崎橋から上流を望む。だから玉川上水のこの辺りは鈴木家・秦家が、江戸時代より前に掘った。結構な深さがあることが分かる。
玉川上水が、今の人見街道、当時の久我山道と交差する所にある庚申塔。玉川上水はここから蛇行し距離的に無駄なので、私はここから荷車道に行ったのだと思っている。直線的で距離的に無駄が無いからだ。
井之頭池
井之頭弁財天
久我山稲荷
奉納者一覧には秦氏がずらりと並ぶ。

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せたがや社寺と史跡による密蔵院(鈴木家の西隣に位置)の縁起によると、

"・・・天正の頃下野国都賀郡水代の城主榎本河内重泰は故あって城を退き、その子文右衛門氏重を連れてこの地に来た。その頃、吉良家の家人鈴木新平重貞がこの地の地頭をしていた。重泰はこの人と親しくなり天正8年(1580)ここに住居を定めた。・・・"

鈴木と榎本と言えば熊野三党。しかも、鈴木さんの方は、"重貞"と、鈴木家の"重"を使っている。だからこの2家は熊野の鈴木さんと榎本さんなんかじゃないかと思うんですよね。

密蔵院
勝利八幡神社
勝利八幡神社の境内社の説明、熊野神社もちゃんとある。この地には熊野神社もあったのだ。

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世田谷を歩いてて熊野神社は自由が丘が思い付くくらいで殆ど無いように思うんですが、今回をキッカケに、考えてみれば、神田川を越えた杉並区には、多くの、熊野神社がありますね。しかもどれも古社。何か、関係があるのでしょうか。

2020年1月14日火曜日

古道グラベルロード&トレイル、稲城南山、坂浜、黒川、小野路

前回久し振りのサイクリングで、久し振りの里山だったから、火が点いちゃったのか、またしても行ってきてしまいました。

今回はクロモリロードではなくシラス2005年モデルにシクロタイヤを嵌めたなんちゃってフルリジットMTBなので、トレイル中心にコース設定です。


結果、谷戸巡りのようになりました。

いつものようなテーマは無いんですが、記録として、また、行きたいなという人のガイドになればと思い、投稿します。

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まずはいつものように旧百村、現稲城南山に行きました。

恒例の切り通し

谷戸ではありませんが、"大道"はこの有り様です。


まぁでも、里山やトレイルをただ楽しませてもらってるだけの人間にとやかく言う権利は無いですかね。地主の方は税金等で大変なようですから。

この先南方向は過去ご紹介しているように通行止めなんですが、、、

過去の写真

、、、ゲートで封鎖されている30m程西側には封鎖されていない尾根のシングルトラックがあり、チャリは難しそうだったので徒歩で行ってみた所、ナント!薄葉谷戸の源流域でした。

画面真ん中に水溜まりが

場所はこの辺り

戻り、いつものランチポイントに。ここからは、清田谷戸と薄葉谷戸、薄葉谷戸の向こうには愛宕山の尾根(現駒沢学園), 三沢川の谷、その向こうの丘陵が見える眺望のポイントです。一点、残念なのは、清田谷戸と薄葉谷戸の間の尾根がご覧のように削られてしまっていること。これさえ無ければ奇跡の絶景だと思うんですが。仕方無いですね。



南山を降り、清田谷戸には入らず薄葉谷戸に突入です。清田谷戸はGoogleMapsを航空写真で見れば分かるんですが、工事中のようで引っ切り無しに工事車両も行き来しているし、癒しも何も無さそうだからです。

谷戸最奥まで行くと、先程大道からアプローチした源流域へのパスがありました。行きませんでしたけど。さっき行ったし。
これは帰りに撮った谷戸っぽい風景。いやぁでも休耕田なんでしょうね。

薄葉谷戸を後にし、次は清水谷戸ですが、、、


、、、"車"の通行は・・・だったので行こうかと思いましたが、少し見えにくいですが、この先に、"事業予定地"の看板もあり、断念しました。ここは期待してたんですけど、事前の情報収集では滝やきれいな源流もあるし、西隣の尾根に抜けられそうということで。

その尾根に向かいます。鶴川街道には出ず直接尾根に取り付くこんな素敵な迅速測図では徒歩道で。

一応、アスファルト敷ですね。かなりの経年劣化が見られますが。あと、こうしてみると竹が悲惨なことになってましたね。秋の台風でしょう。まま、というのもらしくて良いですね。

で、到着したのはここです。


現在地右に支流の谷戸がありますね。この谷戸に下りるトレイルがあったので下りてみた所です。


この支谷戸の向こうに見える尾根を越えたら清水谷戸の本流があり、滝などもあるんでしょうが、御覧の通り柵もありで諦めました。

高勝寺通りから天神通り、学園通りと行き、西小田良谷戸へ行きますが、残念ながら中に入れず外から眺めるだけでしたが、きれいでしたね。現役の谷戸なんだと思います。

ホント、こういう景色を見ると日本らしいなと思います。日本は稲作だから川がある所に住むんですよね。一方、欧米は教会の周りに住みます。教会はその街で最も高い所に立ちますから、山なんですね。ツールドフランスなんか見るとホントそう思います。


しかし、尾根を上がった小田良はしょうがないんですけどこういう感じです。


さ、気を取り直して多摩郡と都築郡の郡境部のトレイルを行きます。

平嶽、向こうに見える尾根が郡境尾根
平嶽から郡境尾根に登るトレイル、ここでがさこそと音が。狸かな?
ちょっと分かりづらいですが、この藪が郡境尾根道で迅速測図では荷車道です。以前、行ったことがありますが、超adventureでした。もう行きたくないぐらい。
黒川に抜けるトレイル、前回クロモリロードの時は押しでしたが今回は乗車です!!!

今は切り通されてますが、嘗ては婆々尾根と呼ばれた尾根を、川崎市黒川青少年野外活動センターから入り、真光寺公園に抜けていきますが、これまで無くなったと諦めていた古道が見つかりましたが、結局通行止めでした。


写真1, 真光寺公園のフェンスの直ぐ向こうを行く。川崎市黒川青少年野外活動センターから来ると、公園に入る直前で、公園には入らず、そのまま行く道がこれ(写真奥が公園入口側)だが、鶴川街道に出る所で出られない。
写真2

気を取り直して布田道に入ります。

久々の布田道

別所に抜けたら笠松谷戸を上り、恵泉女学園まで行き、そこから折り返しで笠松谷戸と一本木谷戸との間の尾根道を行きます。迅速測図では荷車道ですが、シングルトラックでした。ここが最高!!!でした。本日のハイライトです。

恵泉女学園から折り返して直ぐ。眼下に見下ろすは笠松谷戸。
鎌倉街道上道と分かれて直ぐの所。ここは幅一間の荷車道ですね。
鉄塔脇、ここからご覧の通りのシングルトラックの下りで、一気に一本木谷戸まで下れます。さぁ、行きますよ!!!
最高!!!なんですけど!!!
一本木谷戸に降り立ちました。

この後、小野路宿を抜けて小野路のトレイル巡りの予定でしたが、御覧の通り日も暮れかけ、ここから1.5H程自走で掛かりますから本日はこの辺でお開きとしました。大変満足でした。やっぱ、山サイ良いですね。