Present view |
Painted by Hiroshige in 1856 - 1858 |
奈良時代の頃、花見と言えば、中国から伝来したばかりの梅だった。平安時代になると、いつの間にか主役が桜に取って代わった。万葉集では、梅を詠った歌が多かったが、古今和歌集では逆転している。
江戸で花見と言えば、飛鳥山と御殿山、それと隅田川だった。全部、八代将軍吉宗が植えた桜だ。広重も、この3つ全て名所として描いている。
しかし、江戸庶民は梅も忘れてなかった。
江戸で梅といえば、亀戸梅屋敷、新梅屋敷こと向島百花園、そしてここ蒲田の梅園である。
蒲田の梅園は、山本忠左衛門が、それ以前よりそこに存在していた、道中常備薬大森「和中散」の店を、3,000坪の敷地とともに買い受けたのが出発点である。東海道最初の宿、品川宿を出て一里半という好立地も手伝って梅園は繁盛した。
因みに、画面右の宙に浮いているように見えるのは駕籠だ。上着が庇に如何にもぱっと脱いでぱっとかけたように無造作にかけられている。
江戸を出て、品川宿で休んだばかりなのに、ここも名所だからしょうがねぇ休んでいくかと、駕籠だからいいとこの旦那なのだろうが、ニヤニヤしている顔が目に浮かび、旅の高揚感が伝わってくる。
江戸名所図会、大森和中散 |
写真だが、池が干上がっていて逆に広重の構図に近い構図を見つけることができた。分かりづらいが、東屋も構図に入れ込んでいる。
公園内に、句碑が幾つかあるのだが、その中の一つをご紹介しよう。
神酒ささぐ間に鶯の初音かな
私は、梅見の酒宴で酒を注いでいる間に鶯が鳴いたと解釈したが、奥さんは、ついこの前正月でお神酒を神様に捧げたばかりなのに、もう鶯が鳴いている。季節の移り変わりは早い。と、解釈した。脱帽。
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