前回に引き続き、同じ松江区内にある泗泾をご紹介します。
前回ご紹介した嘗ての松江府城、その前は華亭県城が、唐代(618~907)からの歴史があることはご紹介済みですが、同じ松江区内にあるここ泗泾はどうなのか。
北宋の時代(960~1127)に村は起こったといいます。村の名は会波村。南宋の時代(1127~1279)には七間村と変わり、元代(1271~1368)には、当地の外波泾、洞泾、張泾、通波泾の4つの泾が交わる所という意味で、泗泾という名となりました。泗泾は千年の歴史を持つ古鎮なのです。。。
と、まぁ、こういうことなんですが、ここで終わったら面目無い話で、なので、脳内Explorerを続けますが、一時代前、ここから南西に数キロの松江中山中路に華亭県の県衙が出来た。一時代後、ここに泗泾鎮が起こった、ということで、では何故、ここなのか。
色々と考えたくもなるんですよね。
地図を見れば、泗泾溏は南へと続き松江府中心地へと達します。
更にこの水路は南へ行くと黄浦江に接続しています。と、いうことは太湖に繋がっているということになり、太湖~長江という水路の大動脈沿いに位置していたから、泗泾という村が起こったと考えることが出来るのではないでしょうか。
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926年、泗泾に陸宝庵が移転してきて、呉越王から妙法金字蓮華経を賜るなどしてこの辺りは一大仏教エリアとなっていった。967年には泗泾塘を下った浦汇塘沿いにある七宝教寺が開山し、1008年には、今は福田净寺と名を変えた東田禅寺が開山した。
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