前回の続き
先を行きましょう。
有馬古墳です。
実はこの辺りから古墳ラッシュとなります。次は馬絹古墳です。
次は西福寺古墳です。
何故、こんなに古墳が集中してるのか。
赤線に注目してください。左下から行きます。左下の青マーカが有馬古墳です。すぐ北を流れる川は有馬川です。北東に進み次の青マーカは馬絹古墳です。直ぐ南を流れる川は矢上川です。その直ぐ右(北東)に位置するのは西福寺古墳です。南東に折り返し次のマーカが野川1号墳です。東西を深い谷(矢上川支流)に挟まれた舌状台地に位置していることが分かります。 |
この写真の3つの古墳は全て川を望む尾根に位置していますね。
しかも、その川は、直ぐに合流し多摩川と鶴見川が作った沖積低地に注いでいます。
古墳時代、この沖積低地は海かあるいは干潟で、これらの古墳は、海から少し入った所に築造されたんでしょう。
それも全部円墳。
前方後円墳は、大和王権そのものや大和王権と関わりが深かった勢力にのみ許された墳形ですから、円墳はローカル勢力の墳墓だということになります。
さて、もう一度、上記地形図に注目してください。
続きを行きます。赤線は二股に分かれていますが、右(南)の方に注目してください。この半島の先端まで伸びています。
先端に最も近い青マーカ、海を望む岬の先端に位置しているのは橘樹神社です。
橘樹神社 |
その北の等高線が最も高い位置にある青マーカが、富士見台古墳となります。
海からこの地へ来た人の目線で見ると、まず鳥居が見え、その奥の高台に富士見台古墳があるとゆう状況です。いやぁ〜何か、意図的ですね。
弟橘姫の御陵か、富士見台古墳。ここへのアプローチは激坂です! |
橘樹神社の社伝は、よくあるように、日本武尊東征の際の、弟橘媛の入水伝承で、媛の御衣、御冠などがこの地に漂着し、それを祀るというものです。
古事記に、それら姫の身につけていたものを御陵に収めたという記述もあり、橘樹神社の後方高台にある富士見台古墳がその御陵だとしています。
日本武尊、弟橘姫と言えば大和王権の象徴ですね。
何故、こんなに古墳が集中してるのか。
その答えは、太平洋に大きく口を開けた多摩川と鶴見川の河口部 = (仮称)鶴見湾から、大和王権の勢力がこの地に進出してきて、半島の岬に上陸、富士見台古墳を築造し、その影響を受けたローカル勢力が、大和王権の古墳に倣い、富士見台古墳の後ろに控えるような位置に、円墳を築造した、ということなんじゃないでしょうか。
※富士見台古墳が前方後円墳だったら完璧なロジックだったんですが、円墳ですね。でも、方墳という記事も見つけました。合わせると前方後円墳ですか・・・ね。
さて、橘樹神社ですが、この神社の社名がそのまま郡名になったということですから、郡成立時には既にあったということになり、相当な古社ということにもなりますね。橘樹郡の総社でもあります。
そして同じ台地に影向寺と郡衙があります。
影向寺 |
郡衙跡 |
影向寺は、寺伝によれば、聖武天皇の勅により740年に開山で、橘樹郡の郡寺だったと言います。
総社があり郡寺があり、郡衙があるこの台地が、橘樹郡の中心地ということになります。
影向寺ですが、発掘された軒丸瓦から、その更に数十年前の7世紀後半ですから律令の前に、建立されていました。
こうなって来ると先の寿福寺や寺尾台廃寺などとの関係が気になってきます。
さて、郡境尾根に戻って先を行きましょう。
迅速測図の時代では都筑郡だった旧高田村エリアです。
橘樹郡は郡成立当初、4つの郷からなっていたといいます。
- 橘樹郷、影向寺一帯
- 高田郷、横浜市港北区の高田町一帯
- 御宅(みやけ)郷、加瀬白山古墳のある北加瀬、南加瀬一帯
- 県守(あがたもり)郷、津田山周辺
黒が迅速測図当時の郡境、紫が想定郡成立時の郡境です。高田村を橘樹郡に入れるなら、矢上川支流の松の川を取り込むこの位置になるんじゃないでしょうか。ここは矢上川と早渕川の分水嶺になります。 |
松の川、迅速測図の時代では橘樹郡と都筑郡に分断されている。 |
ここ高田村は慈覚大師円仁所縁の寺が2つある、平安期から開かれた古いエリアです。
塩谷寺、ここは上記迅速測図を見ても分かりますが、郡境尾根から凄まじい激坂を下って辿り着く、三方を囲まれたすごい空気感の場所に立地しています。稲城の妙見寺を思い出しました。 |
こちらは興禅寺 |
何故ここに円仁が?
と、思いますが、よく見るとここ高田村の直ぐ西は古代官道だった中原街道が走っています。
また、この中原街道を東京方面に少し戻ると、影向寺がある橘樹郡の核心エリアとなりますが、影向寺も円仁伝承が残る寺となります。ついでに言えば、更に東京方面に進むと目黒エリアとなり、ここも、目黒不動瀧泉寺、成就院、安養院など、円仁所縁の地ですね。
中原街道は、平安期には既に開かれメジャーだった、だから、円仁東国巡礼道に採用されたんでしょう。
先を行きましょう。
郡境はこの後南下しますが、地形図を見るとここも鶴見湾に突き刺す岬となっています。
と、いうことで寄り道です。迅速測図を見てみれば、高田村からこの岬までは尾根道が付いています。走っても楽しそう。行ってみましょう。
迅速測図 |
ここに、日吉不動尊金蔵寺があり、由緒としては、円珍が清和天皇の勅により東国教化の巡礼の途中、ここに立ち寄り云々かんぬんという、どこかで聞いたことがあるような伝承です。
金蔵寺 |
もしかしたら、円珍と円仁を取り違えているのか、と、失礼ながら思ってしまいます。
そしてその直ぐ先にも大聖院があり、こちらは円仁開山の伝承があります。
大聖院 |
ここは、高田村の塩谷寺、興禅寺、その先の影向寺、能満寺を含め、濃厚な、天台宗エリアだったんですね。
先を行きましょう。
今は夢見が崎と呼ばれる嘗ての御宅郷、加瀬山は、今は、矢上川で東西に分断されていますが、往古は地続きだったそうです。
じゃあ矢上川はどう流れていたか。
私は多摩川の支流だったんじゃないかと思ってます。だから、橘樹郡の郡境は、矢上川と鶴見川水系早渕川の分水嶺なんだと思うのです。
さて、加瀬山にも古墳がありました。
中でも白山古墳は4世紀に作られた87mもの大型前方後円墳でした。
画面真ん中の小山が白山古墳、その奥の山は日吉の山です。 |
加瀬山古墳群の9号墳、6世紀後半の円墳 |
加瀬山の先端から(仮称)鶴見湾を望む。ここが一面海あるいは干潟だった?! |
やっぱりそうでしたか。
大和王権勢力が太平洋から鶴見湾に入ってきた時、最初に目にする岬はこっちの方ですからね。
まずここに上陸し、前方後円墳を築き、加瀬山の奥にある影向寺や橘樹神社がある橘樹郷のローカル勢力がその影響を受け、円墳を築いた。
大和王権はローカル勢力を上手く取り込んだんでしょう、あるいは強い勢力だったんでしょうか、ともかく、そこを郡の中心、郡衙としたわけです。
しかし、前方後円墳は許さなかった。だから、橘樹郷の古墳は円墳なんだ、ということだと思います。
さて、郡境尾根道に戻りましょう。
と、言ってもまた直ぐに寄り道です。綱 "島" に行きましょう。
地形図を見てお分かりの通り、ここは正に、"島" なんですね。いやいや、ホントに、ポツンと島です。
画面中央の島が綱島 |
この激坂が島の始まり |
ここにも古墳があります。
綱島古墳、5世紀末の円墳 |
もう2箇所、岬がありますから寄ります。
まずは駒岡です。上記地形図で、綱島の東のこちらもやはり島地形、青マーカ1つが駒岡です。ここにも古墳があります。
駒岡堂の前古墳、6世紀後半の前方後円墳 |
そしてこちらは古墳こそありませんが、885年創建の師岡熊野神社があります。綱島の南、青マーカ3つの半島地形です。
師岡熊野神社 |
法華寺 |
記事を書いてて今気付きましたが、この辺り、鶴見川流域は熊野神社が多いような。
紀州勢も太平洋から鶴見川を遡り進出してきたんだな、、、なんて思っていたら、同じようなことを書いたことを思い出しました。これです。
そう思って古墳分布(勝手にLinkでした。スミマセン。)を見てみると、古墳は矢上川と言うか多摩川と言うか、その流域に特に多く、鶴見川沿いではこの辺りまでが多くて、ここから上流は、ここで書いたように無いことはないんですが少なくなります。
これは多摩川も同様で、どういうことかと言うと、上流に行く頃には古墳時代が終わりを迎えていたということなんだと思います。
だから、古墳の代わりに横穴墓が増えますよね。
さて、20年以上前に4年間住んでいた大倉山を経由して帰りましょう。
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如何でしたか。
正直もう何度も行ったエリアなんですが、新たなテーマを以て、楽しむことが出来ました。
橘樹郡はやっぱり海に面した、開かれた、いや、見方によっては開かされた郡ということができると思います。
4世紀、太平洋から鶴見湾に大和王権勢力が入ってきます。白山古墳などの前方後円墳を、鶴見湾を望む岬の先端、一等地に築造します。
ローカル勢力は仕方なく、その奥に円墳を築くことになります。
200年後、仏教勢力が同じルートで入ってきて、山のテッペンに大型寺院を築きます。
更に200年後、橘樹郡が成立します。郡域は、
- 橘樹郷、影向寺一帯
- 高田郷、横浜市港北区の高田町一帯
- 御宅(みやけ)郷、加瀬白山古墳のある北加瀬、南加瀬一帯
- 県守(あがたもり)郷、津田山周辺
ですから、上記のような歴史を反映し、多摩川水系、鶴見川水系は早淵川辺りまでの下流域(鶴見湾、入江エリア)までとなっているんだと思います。
そして、ついでと言っては怒られますが、郡成立の100年後に、天台勢力が入ってきます。これは海路ではなく中原街道ルートだったのではないでしょうか。
以上です。
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