ようやく、御殿峠と鑓水峠です。
よこやまの道関連の、例えば軍事戦略鎌倉道とか奥州古道 長坂道とか、宮田先生のお示し頂いている古道はほぼ行き尽くしたのがもう2, 3年前だから、それ以来、行きたいと思ってたんですが、冬しか行けないですよね。基本、山なんで。藪と蚊を考えると。
上海出張とかあってなんだかんだで行きそびれてたんですが、ようやくです。
道案内とか御殿峠の解説とかは先輩方に譲るとして(私も勉強させていただきましたから), 今回はそういったネット上の記事にはあまり書かれていないこととして、以下の二点をフィーチャーしたいと思います。
- 武田軍、北条小田原攻めルート
- 深大寺周辺、及び大磯周辺渡来人の高麗郡移住ルート
武田軍、北条小田原攻めルート
1569年8月、武田軍は、甲斐を発ち、韮崎、佐久、碓氷峠、安中を経て氏邦の鉢形城を攻め、氏照の滝山城を攻め、御殿峠を南下して、相原、橋本、上溝、原当麻、勝坂、新戸と東に大きく迂回しながら南下し、相模川を渡り、岡田、厚木、金田、三田、妻田、国府津、前川、酒匂と進み、いよいよ小田原城を包囲した。。。
と、いうことのようです。
御殿峠は5kmに満たないコースなんで、なんとか、他のコースと組み合わせて長く出来ないかな、と、思ってたんで、御殿峠を中心に、南は小田原まで、更には、武田軍撤退ルートも繋いで、北は氏照の滝山城までのコースとしたいと思います。
深大寺周辺、及び大磯周辺渡来人の高麗郡移住ルート
武田軍の小田原攻めルートは橋本から大きく東に迂回しますが、御殿峠からの古道はそのまま南下し、当麻で相模川にぶつかります。相模川を南下すれば平塚、平塚からは古代東海道で大磯に辿り着きます。
一方、深大寺から多摩川を遡って拝島に至り、拝島から御殿峠に繋がる古道を北上すれば高麗に至ります。
つまりこのルートは、深大寺と大磯から渡来人が716年に高麗郡に移住したルートなんじゃないかと思うんです。
これまたロマン溢れるではないですか。拝島から先、高麗まで繋ぐルーティングとしたいと思います。
それでは出発です。
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全体としてすごく長いルートなので、今回は御殿峠で、帰り道として絹の道を使ってみました。
まずは御殿峠です。
想像よりも掘割が状態良く迫力をもって残っていたので感動しました。良かったです。
落ち葉フカフカのシングルトラック、最高です。 |
想像より状態良く残ってますね、掘割が。 |
ここも良く残ってます。ここは迫力ある。 |
日本閣の辺りで旧16号に切り通され、古道は寸断されます。日本閣は関係者以外立ち入り禁止で先に進めず。仕方なく、旧16号を行き片倉まで。片倉からは絹の道で折り返しました。
碑 |
ここも掘割状になっていて、明治の絹の道以前の古道だったことを想像させます。 |
小泉家 |
走り足りなかったので帰りは奥州古道で唐木田まで。
おまけの一枚。いつもの。
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