杓子稲荷神社 |
とても、とても小さな神社。が、歴史は古い。
創建年不明も、吉良治家、世田谷城鬼門鎮護の為、この地に伏見稲荷を勧請したという。
治家というと、1300年代後半から1450年頃に孫の頼氏が世田谷城を築城し、その後、ここ世田谷に移り住んだのだが、年齢から察するに、治家が世田谷に来たのは1400年頃と思われる。すると、1416年の上杉禅秀の乱より前なので、関東は、一先ずの安定期。この道が、上野国碓氷郡飽間郷と世田谷とを結ぶ鎌倉道だったことを合わせ持って考えると、砦ではなく、純粋に、世田谷城の鬼門鎮護で創建したものと思われる。尚、この頃の世田谷城は、本格的に城として改築する前の館だったものと思われる。城としての改築は、頼氏以降だからだ。
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