実は、頼朝奥州合戦道も、これで見つけたのでした。
川崎市宮前区によれば、この道は、基本的に、武蔵御嶽神社に向かう御嶽道なんですが、鎌倉期の板碑の存在、鎌倉期の伝承などがここ道沿いに多く残り、鎌倉街道の支線の可能性が高いとのことです。
実際に、鎌倉街道上中下道を繋ぐ道筋でもあって、個人的にも、その可能性が高いと思っています。
と、言うことで今回は、往路は北の横大道、復路を南の横大道として、exploreしたいと思います。
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雪が谷大塚から丸子橋を渡って鎌倉街道下道を行き、千年から台地に上ります。
一息ついた所には、1300年前、橘樹郡郡衙がありました。
影向寺を過ぎ、第三京浜を渡ると、ほぼ、真西に向かいますが、この道は、西に行くと大山道、東に行くと中原街道経由で江戸に向かう道ですので、このような道標がありました。
矢上川を渡っておくまん坂を上ります。このくらいなら楽勝になってきました。R246を過ぎて鷺沼駅近くに到着したら、宮前区のガイドですと大山道に入り、南の横大道へと行きますが、既述のようにこの道は武蔵御嶽神社に向かう道です。まだ先があるわけです。
もう少し先に行きます。
大山道を鷺沼駅から頼朝奥州合戦道に入ります。
宮崎配水塔が立つ梵天山を左折し、王禅寺道に入り、鷺沼3丁目で、南の横大道と合流します。
この道はR246までは非常に気持ちの良い道なんですが、R246に、"峠の茶屋" で合流後は、本日一回目の激坂となります。
その後、大山道に合流します。
その先の眺望、あの山はどこの山か。
有馬梅林公園には、影取池の伝承が残ります。
その先には古墳とも、鎌倉街道の一里塚とも言われる有馬大塚です。
坂道を下って打越の辻で有馬川を渡って正面には稲荷坂が聳えます。
これは25%を超えてるでしょう!?
なんとか上り切って振り返って撮影したのがこの写真です。
その先、落ち武者伝承が残る権六谷戸、
そしてこれも街道の一里塚、あるいは行政界の宗教的意味合いか、十三塚が残ります。
その後、第三京浜を再び渡って山崎で中原街道に合流し、exploreは完了です。
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羽田や品川の御嶽講が、大師道を行き、中原街道に入り、南北の横大道で武州御嶽神社に向かったわけですが、その一つがここだったのではないかと思います。
この神社は木曽御嶽神社の分祀ですが、それは、1831年の話で、御嶽神社自体はそれ以前から、1535年頃から存在していて、その頃は武州御嶽神社の分祀だったのではないかと言われています。
その証拠がこれです。
武州御嶽神社の神使です。
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