これってほぼ完璧な出雲の神様のラインナップですね。
まぁ、氷川神社なんで当たり前と言えば当たり前なんですが。
因みに、脚魔乳が父、手魔乳が母、その娘が寄稲田姫、寄稲田姫を妻としたのが素戔嗚尊で、ヤマタノオロチの神話の登場人物達です。大己貴尊は、素戔嗚尊の嫡男で、出雲大社に祀られています。
氷川神社はほぼ荒川水系のみに分布している神社です。
それが何故、世田谷の多摩川沿いに?, それが興味を引いたのでした。
と、言いながら、実は、多摩川沿いにもう1つ、氷川神社があります。
奥多摩の奥氷川神社です(実走無し)。
奥氷川神社は、奥多摩町史に拠れば、
"景行天皇の御代、日本武尊東国平定の折、素戔嗚尊、大己貴命が陣中を守護され、これによって祀られたのを起源とする。
貞観二年(860), 簸川修理大輔土師行基が再興して社号を奥氷川大明神とする。
嘉応三年(1171), 相殿として建御名方命を祀る。
貞治三年(1363), 細川頼春の家人、村野武清、祭祀を起こしその裔相継ぎ奉仕して近代に及ぶ。"
また、奥氷川神社明細帳に拠れば、
"武蔵國、氷川ノ社大小数十社アリト雖トモ就中足立郡大宮鎮座一ノ宮氷川神社ニ対シ入間郡三ケ島村長(中)宮ヲ中氷川神社ト称シ当社ヲ奥氷川神社ト称ス"
と、由緒正しき古社大社です。
一方、宇奈根、大蔵、喜多見の氷川神社の伝承に、
"鎌倉時代に多摩川の上流から龍ヶ渕(竜王淵)に三人の兄弟が流れ着き、その三人が宇奈根、喜多見、大蔵の氷川神社に祀られた。"
が、あるので、どうやら、世田谷の多摩川沿いの氷川様は、奥多摩の奥氷川神社が起源のようです。
いやしかし、奥多摩町史をよく見てみれば、どんでん返しの説明もありました。
"牟邪志(後の武蔵)最初の国造は出雲臣伊佐知直ですが考証によれば、この出雲臣は当初多摩川下流に拠点をもち、その上流奥多摩氷川の愛宕山の地形を祖国出雲で祖神を祀る日御碕神社の神岳と見、ここへ祖神の氷川神を勧請したのが武蔵に数多い氷川神社の起源で、牟邪志、知々夫両国の合一によって本拠の国街を府中に移して氷川神を中氷川へ、さらに大宮へ移したのだろうといわれるのです。"
そうなんです。出雲族は、最初、宇奈根、大蔵、喜多見の今氷川三明神がある辺りに進出していたようなんです。
もしかしたら、
- 宇奈根に最初の氷川神社創建
- 奥氷川神社創建
- 中氷川神社創建
- 大宮氷川神社創建
以上です。
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