2022年7月25日月曜日

分水嶺シリーズ、多摩川と鶴見川の分水嶺

前回、多摩川と鶴見川の分水嶺と、橘樹郡と都筑郡の郡境の関係をexploreしましたが、今回は、橘樹郡と都筑郡の郡境にならなかった、多摩川と鶴見川の分水嶺をexploreします。

もう何度も訪れたのですが、しかも、最近は本当に毎週のように行ってるんですが、昨夜は1時までツール・ド・フランスの見逃し配信を見てたので、スタートが遅く、近場にしたのです。

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まずは岬 = 半島の先端、から橘樹神社へと向かいます。

橘樹神社、貼られてたポスターによれば今日は盆踊り大会のようです。中止にならず、良かったですね。

"半島の先端" とは、このことで、

歴史的農業環境閲覧システムより、十字の直ぐ上に橘樹神社が乗る、"半島" を配置

橘樹神社は、多摩川と鶴見川が作る広大なデルタに飛び出した半島なんですね。

因みに、この半島の直ぐ南を西から東へと行くのが鶴見川水系だけども多摩川氾濫原に注ぎ橘樹郡に属す矢上川です。

その先端の高まりに、橘樹神社が、デルタの方を向いて建っています。

更にその背後には、

富士見台古墳、調査されていないので円墳か方墳か、はたまた古墳ではないとの説もあるようです。

が、あるのです。

これは明らかに御神体は富士見台古墳で、その遙拝所が橘樹神社ということでしょう。

橘樹神社はその名の通り、弟橘媛を祀る神社です。

と、なれば、富士見台古墳は弟橘媛の御櫛を埋めた御陵ということになりますが、その通りの伝承が残っているそうです。

多摩川を遡ってきた外部の人々が、水面から岬、橘樹神社と視線を上げていき、更にその上にキラキラ光る富士見台古墳を仰ぎ見たことでしょう。

さて、逆に、この地の古代の人々が見た風景はどんなだったか。

恐らくこんな風景だったと思われます。

富士見台古墳と橘樹神社を真っ直ぐに結んだ線よりはやや西へ寄ってしまってます、マンションがあるので。頭の中でビルや家々を消し去ってください。そして、滔々と流れる多摩川とそのデルタに入れ替えて下さい。

更に、分水嶺尾根が中原街道を越えるとそこは橘樹郡郡衙です。

橘樹郡郡衙跡

続いて郡寺の影向寺です。

影向寺

どうでしょう、この半島は、古墳時代は在地豪族の聖地で、律令時代は橘樹郡の中心地だったのです。

先を行きます。

第三京浜を渡り左に行くと先日の横大道、今回は右です。

第三京浜沿いに北上し、北西に曲がる辺りに如意輪観音二基と馬頭観音一基が並んでいます。

迅速測図を見ても辻という程の場所ではないのですが。第三京浜敷設に伴い移転されたのでしょうか。

この分水嶺尾根道は割と西側の眺望がききます。

梶が谷第二公園

西福寺古墳もあります。

6世紀の円墳、周囲のタイル道は周溝跡、幅が広い!!!

その後、R246を渡り暫く行くと十三塚があります。

十三塚

十三塚の謂れには諸説あって、まず、中世の十三仏信仰との関係、そして、行政界を示す、がありますが、この道は正に多摩川と鶴見川の分水嶺ですから、行政界ですが、橘樹郡と都筑郡の郡境は、前回ご紹介した一つ西の、矢上川と早渕川の分水嶺でしたから、では、こちらはと言うと、馬絹村、上作延村、長尾村の村境です。

中世には既に存在していた道の可能性もありますね。

坂を上って東名を渡り暫く行くと庚申塔があります。

左の道は古道、右の道は新しい道です。私は画角に入り切らない更に右の道から来ました。

もうこの直ぐ先が菅生緑地で、矢上川の水源で、前回の橘樹郡と都筑郡の郡境道と接続します。

矢上川源頭から川下に向かって撮影

ここから先は橘樹郡と都筑郡の郡境道と重なり、菅生緑地西地区水沢の森、日吉元石川線と行って、かわさき記念病院裏手のグラベルを経由して、

ここは西南西の眺望がきいて大山が良く見えます。

平瀬川の源頭も越えて、その後は、弘法松公園、百合ヶ丘駅、金程、向原、布田道、よこやまの道と続いていきますが、何度も行ってますし、グラベルやトレイルも多いので、続きは冬にしましょう。

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帰りは、平瀬川は上流部で二股になるんですが、その間の分水嶺尾根を行きました。

そこでの風景。

日吉元石川線が切通されてますが嘗ては尾根越えでした。その、道標が残ってました。

鷲ヶ峰けやき公園、鷲ヶ峰遺跡、旧石器時代の石器、縄文時代の土器や遺構が発見されている。

この分水嶺シリーズ、始めたは良いが、引いてみると行ったことがある道ばかり。

さて、どうしたものか。

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