2021年12月5日日曜日

古甲州道番外編、小宮氏と平山氏の根拠地を訪ねる

古甲州道シリーズ、前回の檜原編で一段落としました。残る道筋は完全なる山道で、チャリでの走破について、慎重なstudyが必要と判断したからです。

これまで、府中は古甲州道のスタート地点であり、武蔵守だった日奉宗頼の言わば職場で、その隣の日野は、日奉宗頼土着地で、滝山は飛ばして五日市は平山氏の痕跡が多数、戸倉は小宮氏、檜原は再び平山氏、といった具合でした。

平山氏と小宮氏は日奉宗頼を祖とする西党の一派ですから、古甲州道は西党が行き交う道、そう表現しました。

さて今回は、古甲州道番外編として、平山氏と小宮氏の根拠地をexploreしたいと思います。

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まずは地図をご確認頂きたいと思います。

GoogleMapsより

上部のJR青梅線小作、羽村、福生、拝島辺りの多摩川の西側エリア、ここが小宮氏の根拠地となります。

一方平山氏の方はというと、下部、JR中央線八王子、京王高尾線北野の東です。

この2つのエリアですが、古地図を確認した所、鎌倉街道で繋がってるんですね。

JR青梅線小作駅辺りから始まり南下している黒線がそれです。

その後、3本に別れますが何れも八王子駅に至り、平山氏の根拠地へと至ります(八王子駅からは茶線)。

今回はこの鎌倉街道を使って、小宮氏根拠地から平山氏根拠地まで行きたいと思います。

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小作駅まで輪行、友田水道橋で多摩川を渡り、満地峠に向かいます。

これから向かう1つ目の山は錦秋の盛り

大荷田川に架かる大荷田橋を渡ると一瞬現代の滝山街道国道411号線に乗り直ぐに旧滝山街道、またの名を鎌倉街道へと入ります。

道筋は2つ。尾根の道と谷の道です。尾根を選びました。

やや東、南北に走り新満地トンネルへと続く濃いオレンジの道が現代の滝山街道、その西に南西に向かって走っている一本実線が2本あります。西の方が尾根ルート。

踏み跡はしっかりあるんですがシングルトラックで藪もそれなりにあり、谷ルートの方が歩かれてるんだろうなと思いました。実際、私が登る時に一組が下ってきましたし。

が、急登が終わるとダブルトラックとなり路肩には杉も植えられています。

杉並木が続く

尾根ということとこの杉並木を考えるとこちらの方が正式ルートでしょう。

尾根ルートだと到着するのは古満地峠でした。

古満地峠、このまま八王子に降りる道筋が見えてますが、古地図にはこの道はありません。

東にほんの少し行くと旧満地峠です。

旧満地峠

古と旧、この違いは何なんでしょうか?!, 旧満地峠は谷ルートがこの尾根道にぶつかる地点ですが。謎です。

風土記には、"マンジ峠", 武蔵名所図会には、"万字峠" と載る峠です。字ではなく音なんですね。古い地名のようです。

この峠を嘗ては鎌倉武士がイザ!鎌倉と駆け抜け、近世では養蚕関係の一大市場だった八王子に絹や何かを運んだと思われます。

宗教施設の壁沿いを下り現代の滝山街道国道411号に合流します。

現代の滝山街道に復帰したら暫くは古道と現道はほぼ一致で、草花通りと出合ったら草花通りを行きます。

暫くすると陽向寺です。

陽向寺

1396年、小宮十八騎の一人、高尾伊予守が開創と伝わります。

先を行きましょう、直ぐ南のその名も小宮神社です。

小宮神社

1207年、平山季重が創建、1463年には小宮上野介憲明が当社を祈願所として、社殿を再建、梵鐘一口を奉納したと言います。

直ぐ東には大行寺です。

大行寺

小宮神社と同じ1207年開創、開基は平山季重で平山氏の祈願所となっていたといいます。その後、1460〜1465年には、小宮上野介憲明の祈願所となったと言います。

小宮神社とほぼ同じ縁起ですから同時に開かれたんでしょうね。

ということでどうやらこの辺りが小宮氏の根拠地のようですね。

更に言えば、1200年頃は平山氏の根拠地だったのが、250年後には小宮氏の根拠地になった、と言えそうです。この辺りの入り組み具合は、古甲州道シリーズ本編でご紹介し、本記事の冒頭でも触れた、五日市は平山氏、戸倉は小宮氏、檜原は平山氏ということと似てます。

同族ですからね。

日奉宗頼―宗親―宗忠―宗貞―宗綱―宗季と来ますが、宗季の弟が直季で平山氏の祖です。その子が有名な武者所季重。

宗季の長男が宗弘で小川氏の祖。その弟に小宮氏の祖、小宮重行です。

小宮重行の下の弟の子が久長でその子が二宮氏の祖、二宮太郎です。

ですので兄弟親戚で、ここからここまではうち、そっから先は君んとこ、のようにしていったんだと思いますし、逆に、厳密な境界も無かったのではないかと想像してます。

さて、平井川を渡った所には、小宮神社の遥拝所があります。

原小宮の小宮神社遥拝所

平井川を渡ったここも、小宮氏のエリアだったんですね。

先を行きます。二宮神社です。つい先日、羽村市とあきる野市の鎌倉道で訪れましたが再訪です。

二宮神社

ここが二宮神社となったのは明治。それまでは小川大明神と呼ばれてました。その小川は、小川郷という古い地名から来ていますが、小川宗弘はここを根拠地としていました。その後、二宮太郎が生まれこの地を譲ったんでしょう。

先日走った羽村市とあきる野市の鎌倉道と同じ道筋を辿って林泉寺です。

林泉寺

1299年に創立され、開基は大隅土佐守と伝えられていますが、小川土佐守の誤記のようです。小川氏のことですね。

その先の宝清寺は小川氏の居城跡です。

宝清寺

小川氏居城から秋川の眺望、見えている山は加住丘陵の北端です。

と、言うことで、草花丘陵と加住丘陵の間、秋川と平井川が作った扇状地は、小宮氏、二宮氏、小川氏、(平山氏)の根拠地だった、ということになります。

さて、このまま東秋川橋を渡って滝山丘陵を越えて、とすると、羽村市とあきる野市の鎌倉道と全く同じ道筋となりつまりません。秋川沿いに東秋留橋まで行き、鎌倉道東秋留橋ルートに復帰します。

東秋留橋の袂には西光寺、この観音堂には馬鳴菩薩が祀られており、養蚕が盛んな時は訪れる人も多かったとのこと。青梅からは満地峠を通ったものと思われます。

秋川を渡ったら七曲峠です。地理院地図では尾根手前で東に降りる道があり事前机上exploreではそちらを行こうとしたんですが、、、

画面真中を示す十字部分に合わせました。ここから南東に行く一本実線を行こうと計画してたんです。

切欠坂、というのですね。初めて知りました。

地元の方の解説です。

御覧のように確かに嘗ての掘割が残る道ではあるんですが、川道になってしまっていて奥は藪、倒木が酷く先に進めません。

諦めて現道を行きましたら、七曲峠の旧道が残ってました。

七曲峠の旧道が残ってました。大正時代ということですねこちらは。

程無く峠を越え、滝山街道に下り着きました。鎌倉街道はこのまま真っ直ぐ南なんですが、先程の地元の方の切欠坂説明によれば、このまま真っ直ぐではなく、切欠坂の続き、今は武蔵野カントリークラブに吸収され消失してしまった道ということになります。行けないのでつまらなそうな道なので宮下駐在所前まで行き、そこを右折して加住南丘陵に乗ります。

滝山街道はもちろんそのまま行くのではなく旧道側を行ったのですが、下戸吹の交差点を南から北へ抜けるんですがこの道が先程の切欠坂にから続いてる道だったので、ちょっと探検してみたところ・・・

ありました、道が

分かりづらいですがこの先は崖で、崖下は先程諦めた、川道になってしまってた地点です。

撮影場所はここです。実際はもう少し北ですかね。等高線が詰まってるエッジ部分です。

先程の地元の方の切欠坂の説明によれば、現道は大正時代に出来たということですので、その前はこちらの道しかなかった、こちらが鎌倉街道だ、ということですね。

good surpriseの寄り道を終え、予定通り宮下駐在所前から加住南丘陵に上ります。

何とか足付きせず尾根に上った後は快適な尾根道を行きます。途中からはアスファルトではなくなります。今日はここがハイライトでした。楽しかったです。以下、写真集です。

ここからグラベル / トレイルが始まります。

休憩した所、このルートはネットに殆出てなかったですが良く踏まれていて快適でした。

モミジではなく雑木林の紅葉が好きです。

加住南丘陵を楽しんだら八王子市街を過ぎ平山に向かいますが、秋の日は釣瓶落とし。もう2時半です。GoogleMapsによると自走だと自宅まで2時間掛かると。日没を過ぎてしまいます。平山氏の痕跡を辿るのはまたの機会とし今回はこれでお終いとしたいと思います。

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