2021年11月16日火曜日

羽村市とあきる野市の鎌倉道

先日、八王子市高月の田んぼを訪れ、久し振りの稲の香り、風景に癒やされましたが、事前机上explorerの時、滝山丘陵の東山裾を走る道が鎌倉道だと知りました。

ナルホド、と、いつものようにこの辺りのGoogleMapsと迅速測図と今昔マップを行き来していたら、羽村駅前に旧鎌倉街道という表記が。

調べると高月の鎌倉道に繋がっていて、滝山城、滝山丘陵尾根、小宮公園、八王子駅前を経由し、このブログでお馴染みの絹の道御殿峠七国峠に繋がっているとのこと。

気が付けば朝晩はスッカリ冷えるようになって、近所の公園のイチョウやプラタナスも黄葉し、緑道の桜やハナミズキも、この辺りの古くからの屋敷に多い欅も紅葉、落葉し始めてるので、以前から行きたかった滝山丘陵尾根のトレイルに行きましょうか。

■◇□◆

羽村駅まで輪行、鎌倉道を行きますが、

羽村駅前で旧青梅街道と旧鎌倉街道が出合う

羽村東小で消失しています。この道の西隣に並行して走る禅林寺と禅林寺墓地の間の道や、東の遠見坂も鎌倉道の伝承があるようです。

遠見坂

下り切ると当時は折立の渡しで多摩川を渡っていましたが私は勿論羽村大橋で渡ります。対岸には折立の渡し場へと降りる古道が残っています。

橋を渡った先は意外にも高さのある河岸段丘で、この折立坂を下ると折立の渡しなんですが、結構な勾配と長さ。降りるのは止めておきました。

程無く、畠山重忠が1188年に開創した慈勝寺です。この道が鎌倉道である証左ですね。

慈勝寺

先を行きます。平高橋で平井川を渡ったら平沢の八幡神社です。

野辺の集落内に突如登場する八幡神社。何故突如か。ご覧の通り、塀も鳥居も無いのです。住宅に埋没してて突然感があった。それ程、住民の中に入り込んでいるということでしょうか。

創建年は詳らかならず、も、秋川市史によれば、鎌倉道沿いに鎮座とありますから、やはりこの道は鎌倉道ということになります。

先を行きます。この先、ルートは3つありそうです。このままこの道を素直に南西に下り東秋留橋を渡るルートと、二宮神社の前を通り、野辺、小川、久保の集落を縫うルート、更に東の迅速測図では田んぼの真ん中を通るルート。今回は二宮神社ルートを行きます。

もうここは2回目か3回目の二宮神社です。前回訪問時は渡来の道シリーズで、大磯から高麗郡に行くexplorerでした。渡来の道に何故か多いアラハバキを訪ねたのです。

二宮神社

先を行きます。普門寺です。

普門寺

1403年寂の心源希徹開山の鎌倉寿福寺の末となります。この心源希徹、この辺り秋川沿いにの多くの寺院を開いています。広徳寺、能満寺、清岩院です。臨済宗のこの辺りの勢力拡大に貢献したんですね。

さて、この普門寺は、開創が詳らかならず、なんですが、心源希徹の寂年から推定すると1300年代後半でしょうか。鎌倉時代は終わってますが、鎌倉公方は1455年まで続いていますから、鎌倉に向かう鎌倉道も、その辺りまでは機能していたんだと思ってます。だから、普門寺もこの道が鎌倉道である証拠の一つだと想い、紹介しています。

先を行きます。慈眼寺です。

慈眼寺、地紋は長門三つ星で毛利家家紋と同じでした。

開創は1400年と伝えられ、開山は法林寺三世の天輪光琦禅師で、開基は大江氏と伝えられています。大江氏は法林寺を開いた大江道広の一族で、片倉城を中心に八王子南部地域に勢力を振るっていました。後の戦国大名毛利家の祖です。

さて、東秋川橋を渡っていよいよ高月の鎌倉道です。

高月八幡神社、9月訪問時の写真、以下の高月の写真も同様

創建年は詳らかならず、ですが、風土記には、1349年の古碑があるとあります。見つけられませんでしたが。

ここ中里の集落は南北に一本の村道が走ってますが、宿場町や城下町によくある、敵の侵入の勢いを削ぐクランクが2箇所設置されています。

真中に十字マークがありますが、そこから中里集落に入り、西に行くのが鎌倉道で、その東に、クランクが3つあるのが分かると思います。2つ目のクランクには鳥居マークでこれが高月の八幡神社です。

中里集落の直ぐ南の滝山丘陵上には高月城がありますが、中里集落は、家臣団の普段の生活の場であり、よって、今ここに住んでらっしゃる方々はその末裔かも、と、想像を膨らませてしまいました。

何と言うか、良い意味で、時計が止まったかのような空気感が漂う集落でした。

石垣に土壁、石垣は多摩川の洪水対策ですかね。殆ど全ての住宅にありました。


蔵と、道の奥は稲刈りの様子。道も幅一間の古道規格です。

そして、円通寺です。

高月田んぼ越しの円通寺

ナント!903年の開創とのことです。こんな所に、、、と言っては失礼ですが、903年に寺を作る程の人が居たんですね。。。

滝の集落も過ぎたらいよいよ滝山丘陵に登ります。

登り口は幾つかあったようですが全て鎌倉道と考えて良いと思いますが、今回は滝山城本丸へ登るルートとします。

入り口です。ここから丘陵をトラバース気味に登っていき、最後は急勾配をつづら折れで尾根に出ます。

上り詰めた所は滝山城

今回は城攻めではないのでそそくさと尾根道に向かいます。

尾根道の様子、ダブルトラックのグラベルに落ち葉が積もった状態で、走りたかったですが、この4月からのルール変更でチャリは都立公園内押しのみ。

今回のターゲットとなる鎌倉道はこの、少林寺へと下る道。ここまでが都立公園で、この先にも尾根道は続きます。グラベルライドを楽しみました。

その様子、結構距離があって楽しめました。

少林寺分岐へと戻り、滝山丘陵を下って、滝山街道(古甲州道), 谷地川に架かる梅坪橋を渡って、新滝山街道も渡って、滝山丘陵の南の丘陵を越えんと坂を登り、谷地川支流の谷に下りて、再びひよどり山トンネルの尾根を越えます。

しかしひよどり山トンネルの尾根を越える鎌倉道は消失していますが、トンネル手前までは奇跡的に残っていました。

左は明治の古地図、右は現代地図です。古地図の真中やや下につづら折れがありますが、このまま残っていました。

これはつづら折れ1つ目です。藪で分かりづらいですが、V字になってるのは分かると思います。

仕方無く、迂回して先に進みましたが、諦め切れず、反対側からアプローチした所、携帯電話アンテナ設備の向こうに、道らしきものが。

画像正面から右奥に続く部分は木が生えておらず藪も無く、踏み跡、つまり、道だったように思えます。

ここから先はアスファルトとなってますが道が残っています。

携帯電話会社の人しか使わないので落ち葉が落ち放題です。

この先、谷地川支流、川口川、浅川、山田川、湯殿川と渡って、だからその度にアップダウンがあるわけですが、私の大好きな、小比企町の畑地に到着します。ここにも、奇跡的に当時のまま(と、思われる)残っている鎌倉道があります。

どうですか!見事な!この先はアスファルト化していて、手前は畑となっています。つまり、残っているのはココだけ。

その後、跡形も無くなったみなみ野を抜け、七国峠へと入って行きます。

七国峠、出羽三山供養塔を北から

ここを真っ直ぐ下ると鎌倉街道山の道(町田街道)と出合いますが、何度も行っているので写真の左の道を採りましたが、自転車進入禁止でした。ので、少し戻って武相国境道を行きました。

この道、2度目ですが、前回は人っ子一人いなかったんですが、今日はたくさん。でもこのトレイルは距離もあって良いですよ。オススメです。

少し時間もあった、というか、自走を諦めて輪行で帰ることにしたので、御殿峠を下りました。

相変わらずここの掘割は豪快ですね

この後、尾根緑道を経由して唐木田駅から輪行で帰りました。

◆□■◇

如何でしたでしょうか。

古道とグラベル&トレイルをダブルで楽しむルーティングでした。

何度も行った道もありましたが、滝山丘陵は初めてで、良かったです。乗車区間が限られてたのは残念でしたが、あれだけ散歩の人が多いと仕方が無いですね。

城跡としても凄かったです。大迫力の堀が残ってました。

その先の消失鎌倉道も、迂回して回り込んでみたらやっぱりあった、という感じで、時空を超えたexploreを楽しめました。

この記事を書いているのは翌日ですが、全身筋肉痛です。結構ハードだったんですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿