2017年3月14日火曜日

七国峠

多摩川の支流、浅川と、秀吉の太閤検地で武相国境と定められた境川。その2つの川が削った谷に挟まれた多摩丘陵の尾根を越える3つの峠の内の一番西の峠、七国峠。

この道は、南浅川流域に武蔵国の勅使牧の1つだった由比牧があったことから、由比牧に向かう道、つまり、律令の時代から既に存在していたと言われる道であり、鎌倉時代には鎌倉街道 山ノ道であり、戦国の時代には、武田軍の小田原攻めの際、北条氏照が、居城、滝山城から三増峠に進軍した道であり、明治時代には、八王子に集積した絹を横浜港に運ぶシルクロードだった道。

今回はこの道を北からアプローチした。

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山田川を渡るともうそこは丘陵で、等高線の密度の通り殆ど壁だから道は壁を前に左右に分かれる。行く道は右で、直ぐにトラバース気味に緩やかに上る道と最短距離で山を越える道の追分となる。その追分に、非常に立派なお堂に祀られた龍神様があった。

立派なお堂の龍神様、こんな立派なの見たことない。

それでもインナーは使わずに峠へ。尾根には京王高尾線が走っている。線路の向こうは今が盛りの梅林。芳しい香りに身を包まれながら、これまた等高線を見れば一目瞭然の急坂をつづら折りを降りると湯殿川。湯殿川から上流を眺めればそこに富士山。

真正面に富士

湯殿川を渡るとそこは畑で、明治13年の古地図を見ても畑。恐らくもっと前から、多分律令の頃からここは畑や牧だったと思われ、そして何と言ってもここは地形的に、南を見れば七国峠がある尾根、北を見れば湯殿川が削った谷とその向こうには京王高尾線が走る尾根、西を見れば高尾山や富士山と、いやはや絶景でした。

電信柱が邪魔だが幅一間の古道がそのままで雰囲気が出ている。奥には富士山。
ここはまだ道らしきものがあるが、この手前は畑の整地の為、盛土していて道の原型を留めず、最初迷った。いや、しかし、ここを氏照軍が通ったのか。今は野花咲く小道。

絶景の小比企の丘陵を越え、すっかり開発されたみなみ野を抜け、給水塔脇からいよいよ七国峠の山に入る。

ここが七国峠(と思われる。ここまで上って、ここから下るので。)。出羽三山の供養塚がある。
七国峠から南を見下ろす。結構な勾配。
別尾根の最高点に祀られるお馴染みの大日如来。出羽三山の供養塚とのsetと思われる。
舗装道路を越えた先のクランク、大迫力
最後の下り

と、いうことで、素晴らしい道路遺構であった。
みなに野が開発されなければ、これが、小比企の丘陵まで続いてたかと思うとどんなに素晴らしかったことか。。。

道はこの後、町田街道に接続し終わる。にしても、満足度の高いexplorerだった。

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