2013年9月3日火曜日

Modern Architecture in Japan, Mitsubishi Ichigo Kan, Marunouchi of Chiyoda word, Tokyo / 近代建築散歩、三菱一号館、丸の内

復元された一丁倫敦の象徴、三菱一号館

江戸時代は錚々たる顔触れの大名屋敷が並んでいた丸の内。

1858年の丸の内

維新後は、あの、大岡越前で有名な南町奉行所が在った関係からか、司法省が置かれたり、その他、練兵場など陸軍関係の施設が置かれていました。

明治13年、1880年の丸の内
歴史的農業環境閲覧システムより出典
明治21年、1888年、市区改正条例が出され、丸の内は、市街地へ転化されることになりました。陸軍は丸の内を売りに出します。当時の相場の何倍もしたそうですが、三菱創業者、岩崎弥太郎の弟にして二代目岩崎弥之助が買い取ります。造船所視察で英国に滞在中だった弥之助の腹心、荘田平五郎が、『丸の内、買い取らるべし』と電報を打ち、いずれロンドンのシティーのようなビジネス街が必要になると説いたのだそうです。

明治27年、1894年、日清戦争勃発の年、三菱一号館が竣工します。翌年には二号館が現在の明治生命館の場所に、翌々年には三号館が竣工し、馬場先門から鍛冶橋までの通りは、一丁倫敦と呼ばれました。

一丁倫敦、Wikiより

現在。奥の明治生命館が夕日に照らされ。

現在の丸の内、私はとても好きな街です。岩崎弥之助や荘田平五郎も喜んでるんじゃないかな。

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