2013年6月22日土曜日

Ancient Road in Setagaya, Old Ringroad 7 / 世田谷区の古道、環七

世田谷に引っ越してきて思うのは、縦のラインが無いということだ。

『無い』というと言い過ぎだが、地図を見て、あると思って走ってみても、道が狭かったり、一通だったり。

これは結局、今の道の多くが江戸時代の道をベースとしていて、江戸城を中心に放射線状に広がっているからだ。だから、横のラインはある。新旧大山道、滝坂道、甲州道中など。

そんな中、唯一あるのは、環七と環八だ。だから、いつも混んでいる。

古地図を見ると、環七は、今の道筋と古道とあまり経路が変わっていない。

で、今回は、環七のペースとなった旧道部分を探検してみたい。

まずは環七の歴史から、Wikiに詳しい。以下、Wikiから抜粋:

旧東京市が1927年(昭和2年)に策定した「大東京道路網計画」、昭和2年8月1日内務省告示「大東京都市計画道路構図」に建設計画が盛り込まれ、まず西側の区間から片側二車線以上の道路として、ルート上の既存道路の「環状道路」への指定替えや拡幅、および主要区間の建設工事が始められた。

やはり、古道がベースとなっている。

これは、現在の地図に、現在の環七と古道とを示したもの。ほぼ同じ経路であることが分かる。


以下は古地図

環七、明治13年古地図
古地図と照合すると、旧道部分は、北から、

1. 羽根木交差点の辺り
2. 小田急線世田谷代田駅付近
3. 若林陸橋付近
4. 世田谷線若林駅付近

最後、旧道は、駒留陸橋を過ぎた辺りから、南西に折れ、六郷田無道に接続する。

では、1から探検です。

ここはただの住宅地で距離も短く被写体となるものがない。とりあえず、ガイドとして出入り口のみ載せます。

羽根木交差点付近旧道入口
羽根木交差点付近旧道出口
世田谷代田駅付近は、1927年(昭和2年)の駅開業以降、商店街として賑わい始めた。看板建築の商店などが残っている。
世田谷代田駅付近旧道入口
世田谷代田駅付近旧道の看板建築
この辺りは空襲を受けたはずだが、看板建築の商店が幾つか残っている。
丹沢方面の眺望、丹沢の山々がくっきり見える。ここは眺めが良い。初めて知った。
恐らく老舗の和菓子屋
世田谷代田駅付近旧道出口

若林陸橋付近の旧道は、途中、滝坂道と交差する。滝坂道には商店などあるがこちら環七旧道は住宅街だ。
若林陸橋付近旧道入口
滝坂下道との辻にある庚申様
若林陸橋付近旧道出口
若林陸橋付近旧道入口2、環七を渡った向こうに短い旧道が残る。
若林陸橋付近旧道出口2

若林駅付近は、世田谷線若林駅開業の1925年(大正14年)以来、商店街として賑わった。
若林駅付近旧道入口
若林駅付近旧道出口

最後、環七の旧道は、南西に向きを変える。住宅街を通って六郷田無道に接続し、終わる。この旧道は、甲州道中と六郷田無道を南北方向に接続する道だったのだ。

環七沿いには、北から、代田八幡、円乗院、若林天満宮、駒留八幡と寺社が多い。なんで新しい道である環七沿いに? と、思っていたが、旧道だったからだ。
最後、駒留陸橋を過ぎてすぐ、旧道は南西に向きを変える。その辻にはお地蔵様がいた。

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