松羽稲荷 |
この写真の鳥居から奥に続く道、この道なんですけどね、、、
え?
そうですよ、これは"道"ですよ、れっきとした。神社の鳥居から拝殿に向かう通路的なものではなく。
写真の奥に赤い鳥居が見えますよね。その右からアスファルトの道に出れるんです(空間が見えます。)。この写真の手前のアスファルト道、ですから撮影者である私の後方に続く道から続いてます。
証拠に地図を見てみましょう。
明治13年頃の古地図、精度の関係でずれてますが、雰囲気は出てます。下の赤線 |
赤線参照してください。現代地図だと神社敷地で道が途切れてますが、古地図では南北に走る道と繋がってますね。因みに、一本実線は、"小径1"で、荷車が通れる道という意味。幅一間(約180cm)ですね。確かに幅一間くらいです。
因みに、この繋がる先である南北に走る道ですが、鎌倉街道 中道 本道です。と、言うことは、もしかしたらこの神社の鳥居から続く道は、現代に残る貴重な鎌倉遺構かもしれません!!! (後述も)
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さて、この道を、今度は逆に東に行ってみましょう。
先ほどの古地図で分かる通り、この道は古道です。何か、古道の痕跡を探したいんですが、庚申塔や馬頭観音、地蔵など、何も無いですね。。。
加えて、古道の特徴は真っ直ぐであることなんですが、この道は真っ直ぐではありません。が、それが、実は古道の痕跡なんです。この写真を見れば分かります。
加えて、古道の特徴は真っ直ぐであることなんですが、この道は真っ直ぐではありません。が、それが、実は古道の痕跡なんです。この写真を見れば分かります。
ちょっと分かりづらいですが、下ってます。 |
この写真は、この道を東に進みながら途中の南に別れる道を撮ったものです(実はこの道も古道で、一本点線で描かれてます一本点線は、"小径2"で徒歩でのみ通れる幅です。)。
下ってますよね。
そう、この道は尾根を忠実にトレースした結果、真っ直ぐではなくなったのです。この、尾根をトレースすること、これも古道の痕跡なんです。だって昔は歩きか馬か、下手すると荷車でしょ。平坦な方が良いわけです、多少の遠回りでも。
青で丸したところ |
そうしてこの古道は今の環七に出るわけですが、古地図見てお気付きの通り、環七も古道なんですよ。環七は今来た一本実線古道とは違い、一本点線一本実線ですね。これは一本実線の小径1よりワンランク上の、"村道"です。
更に古地図には入り切れてませんが、この環七村道は、これより少し北で、先程の鎌倉街道 中道 本道に接続します。つまりこの環七村道は、鎌倉街道 中道 支道 環七ルートだと、こういうわけ(私説)です。
と、いうことは、今来た一本実線古道は、鎌倉街道 中道の本道と支道とを結ぶ連絡路ということで、やっぱり!!! この一本実線古道も、神社鳥居の先に続く土道も、鎌倉時代の遺構かもしれないということなんです!!!
いやぁ、楽しいですね。正に、時空を超えたExplorerです。
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さて、現代地図を見て気が付きました。
代田不動尊??? 恥ずかしながら、初めて気が付きました。
青丸 |
代田不動尊。成田山不動堂という石柱があるから、成田山から勧請したお不動さんですね。と、言うことは、團十郎によって大人気となった江戸時代でしょう。 |
では何故、お不動さんがここにあるのか?
これも古地図を見れば分かります。
下の方の赤マーカが代田不動尊 |
精度の関係でずれはあるものの、一本実線古道なわけですね、お不動さんがある道は。
代田不動尊から北に行き新代田駅を過ぎ、スタンドを左に行くと地蔵や庚申塔が集められてる祠があります。ここもそうですね。古道だから、ここにあるんです。古地図で南北の青線一本と東西の青線二本ありますが、上(北)の方の青線がその古道です。
この古道を西に行くと南北青線古道に行くわけですが、そこにあるのがこの素敵な建物。
星野リゾートなどを手掛ける東利恵という建築家によるものとのこと。
ここは建物だけでなく、この一帯が素晴らしい。羽根木の森と言われ、地主の芹澤氏が14代守ってきた森だそう。古地図にもマーキングしときました。家の地図記号が赤ですよね。Remarkableな大きい家ということです。
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左にあるのがお地蔵さん、左手に宝珠を持つ。右3基は庚申塔。お地蔵さんは元禄(1688~1704)の建立でした。 |
素敵です。 |
ここは建物だけでなく、この一帯が素晴らしい。羽根木の森と言われ、地主の芹澤氏が14代守ってきた森だそう。古地図にもマーキングしときました。家の地図記号が赤ですよね。Remarkableな大きい家ということです。
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