前回都築郡衙~武蔵国衙間官道の時にも言いましたが、武蔵国衙、都築郡衙、久良岐郡衙は見事なまでの直線で繋がっているということなので、都築郡衙~武蔵国衙は前回と重なるわけです。
なので今回は都築郡衙~久良岐郡衙ということになります。
今回は割とあっさりと道が決まりました。
都筑郡衙〜武蔵国衙間官道と延喜式古代東海道との交差点からそのまま横浜上麻生道路を南下、鶴見川が恩田川と分かれる所まで行きますが、ここまでは鶴見川が削った崖線上に縄文から安土桃山時代までの史跡が残ります。
多摩川と似てますね。
ここ鶴見川も海から川を遡って、何らかの集団が入って来て、ここに根付いたのかもしれません。
と、言う話になるとこの辺りに住んでいる私のようなロマン派ミステリーハンターが思い浮かべるのは杉山神社です。
このルート上にもたくさんありました。
- 市が尾杉山神社、江戸初期、五十猛
- 佐江戸杉山神社、室町?、五十猛
- 鴨居杉山神社、室町、ヤマトタケル、アマテラス
- 星川杉山神社、詳らかならず、ヤマトタケル
前回、都筑郡衙〜武蔵国衙間官道では、
- 鐡神社、室町、五十猛
前々回、橘樹郡衙~武蔵郡衙では、
- 末長杉山神社、詳らかならず、五十猛
- 久本神社、詳らかならず、杉山社2社を合祀するもその2社の祭神知れず
出雲の神: 大国主の祖先: スサノオの子: 五十猛が多いですね。
と、なると、出雲族が鶴見川を遡って・・・と、考えたくなりますが、出雲族は武蔵国造だから埼玉の辺りで、だとすると鶴見川を遡っては来ないでしょう。
概ね、杉山神社の祭神は、私のExplorerルート沿いにあった杉山社と同じで五十猛やヤマトタケルが多いようですが、そんな中で面白い杉山を見つけました。
杉山神社の謎
どうもこれが正解のような気がします。
多摩川は渡来の匂いプンプン、でも鶴見川は忌部氏でした。すぐ近くなのに川によってこれだけ変わるんですね。面白い。
と、なると、出雲族が鶴見川を遡って・・・と、考えたくなりますが、出雲族は武蔵国造だから埼玉の辺りで、だとすると鶴見川を遡っては来ないでしょう。
概ね、杉山神社の祭神は、私のExplorerルート沿いにあった杉山社と同じで五十猛やヤマトタケルが多いようですが、そんな中で面白い杉山を見つけました。
- 新吉田杉山神社、詳らかならずも安房国から移ってきた一族が祭ったとの伝承有、現在の祭神は五十猛
- 茅ヶ崎杉山神社、674年、安房国安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命・天日鷲命の孫・忌部氏の祖)の三柱を祀った「杉山神社」としたことにはじまる。
杉山神社の謎
どうもこれが正解のような気がします。
多摩川は渡来の匂いプンプン、でも鶴見川は忌部氏でした。すぐ近くなのに川によってこれだけ変わるんですね。面白い。
さて、佐江戸、鴨居で鶴見川を渡ったら尾根道です。ここは橘樹郡と都筑郡の境で鎌倉街道の伝承もあるみたいです。航空写真で見ると畑がまだ多く残っているようです。さぞ、気持ちが良さそう。楽しみです。
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時間を稼ぐ為と体力の消耗を防ぐ為、だって、多摩丘陵は本当にUp and Downがきついから、R246ですすっと市ヶ尾まで。しかし、ホントーーーーーに、この道は嫌ですね。車は多いしスピード出してるし道も狭いし。これだったらUp and Downしてでも大山街道旧道の方が良かったかなと思ってたらもう着きました。
東福寺西側の追分を横浜上麻生道路方面に行くとそこはもう古道の雰囲気。そこかしこに庚申塔など石塔があります。
鎌倉街道 中道との追分を過ぎると河輪神社があります。
この神社、『三代実録』の貞観17年(875年)に「武蔵国正六位上河輪神従五位下を授く」とあり、相当な古社です。ここが官道の1つの証拠ですね。
さらに先に行きますと、貝の坂旧道があります。
ここ、事前調査段階では、相当に期待してたんですが、階段なんで担がなきゃならないし、何週間も降り続いた雨でぐしょぐしょだし、早朝だから蜘蛛の巣だらけだし、夏なんで草ボーボーだしで、イマイチでした。
貝の坂旧道は早々に退散し、佐江戸の東漸寺に向かいます。ここは744年、あの、行基の草創によるそう。古寺です。
出崎橋で鶴見川を渡り、竹山団地手前から尾根道に入ります。が、ここが相当にきつい坂。早速足付きしてしまいました。
やっとこさ、尾根まで上がったら、中世の丘の上のハイウェイです。今日は久しぶりの晴れ間ということでしたが、出発からここまではずっと曇り。でも気持ちの良い道でした。
なんとこの尾根道は和田町まで続きます。和田町から保土ヶ谷へ。神明社に立ち寄ります。
そしてここは相州道と古東海道の交差点です。
保土ヶ谷宿を行き、ここで左に曲がります。
この後、石名坂という鬼勾配の坂を上り(勿論、押し)、せっかく上ったのにあっさり下って、首都高を越したらまた鬼のような勾配で更に下って井土ヶ谷を通って久明寺に到着です。
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このルートは初めてだったし、史跡も多く楽しかったです。特に、丘の上のハイウェイは、冬、走りたいですね。大山、富士の眺望が良さそうです。
時間を稼ぐ為と体力の消耗を防ぐ為、だって、多摩丘陵は本当にUp and Downがきついから、R246ですすっと市ヶ尾まで。しかし、ホントーーーーーに、この道は嫌ですね。車は多いしスピード出してるし道も狭いし。これだったらUp and Downしてでも大山街道旧道の方が良かったかなと思ってたらもう着きました。
東福寺西側の追分を横浜上麻生道路方面に行くとそこはもう古道の雰囲気。そこかしこに庚申塔など石塔があります。
鎌倉街道 中道との追分付近の石塔群 |
鎌倉街道 中道との追分を過ぎると河輪神社があります。
河輪神社、今の名は川和八幡神社 |
この神社、『三代実録』の貞観17年(875年)に「武蔵国正六位上河輪神従五位下を授く」とあり、相当な古社です。ここが官道の1つの証拠ですね。
さらに先に行きますと、貝の坂旧道があります。
貝の坂旧道、この先は住宅も見え雰囲気無し |
ここ、事前調査段階では、相当に期待してたんですが、階段なんで担がなきゃならないし、何週間も降り続いた雨でぐしょぐしょだし、早朝だから蜘蛛の巣だらけだし、夏なんで草ボーボーだしで、イマイチでした。
貝の坂旧道は早々に退散し、佐江戸の東漸寺に向かいます。ここは744年、あの、行基の草創によるそう。古寺です。
東漸寺 |
出崎橋で鶴見川を渡り、竹山団地手前から尾根道に入ります。が、ここが相当にきつい坂。早速足付きしてしまいました。
やっとこさ、尾根まで上がったら、中世の丘の上のハイウェイです。今日は久しぶりの晴れ間ということでしたが、出発からここまではずっと曇り。でも気持ちの良い道でした。
鎌倉街道の伝承も残る尾根道。ここは農業専用区。眺望が良かった。 |
どこまでも続く畑 |
なんとこの尾根道は和田町まで続きます。和田町から保土ヶ谷へ。神明社に立ち寄ります。
神明社、970年に天照大神そのものがこの地に来たことが創建の由来という。 |
そしてここは相州道と古東海道の交差点です。
道標と |
保土ヶ谷宿を行き、ここで左に曲がります。
東海道と金沢道との交差点 |
この後、石名坂という鬼勾配の坂を上り(勿論、押し)、せっかく上ったのにあっさり下って、首都高を越したらまた鬼のような勾配で更に下って井土ヶ谷を通って久明寺に到着です。
久明寺 |
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このルートは初めてだったし、史跡も多く楽しかったです。特に、丘の上のハイウェイは、冬、走りたいですね。大山、富士の眺望が良さそうです。
それにしても今回も痛感させられたのは多摩丘陵のアップダウンです。獲得標高、今回は700メートルでした。山越えんのと変わんないですよね。