2012年2月25日土曜日

Modern Architecture in Japan, Ginza Map / 近代建築散歩 銀座地図


より大きな地図で 近代建築 銀座 を表示

(Japanese)

銀座の近代建築地図である。この地図で、是非、銀座の近代建築散歩を楽しんでいただきたい。

このブログでご紹介した近代建築の主なものをマークしている。ご紹介したがマークしていないものは、是非、ご自分で見つけて欲しい。

銀座は、その名の通り、銀あるいは銀貨を製造する役所があった所。だから、江戸時代は、今の華やかな銀座とはかけ離れた、職人たちが住む町だった。因みに、『銀』があれば、『金』もある。嘗ての金座は、今の日本銀行本店。更に因みに、これも、1896年(明治29年)竣工の近代建築。

上の地図を見ていただきたい。緑色は高速道路だ。地図上中央、『西銀座JCT』から東に伸びるのは、嘗ての京橋川。南に伸びるのは江戸城外堀。外堀を下り『土橋』より東に伸びるのは汐留川。京橋ランプから南は築地川である。江戸時代、銀座は、川に囲まれた、『島』だったのである。

本当に、『島』だった。地図では切れてしまっているが、『より大きな地図で・・・』でGoogleMapを表示しドラッグすると移動できるので確認していただきたい。江戸城の北、西から東へやはり首都高速が走っているが、ここも、嘗ての平川。『竹橋JCT』の辺りでは、そのまま南に江戸城内堀に繋がった方が自然の流れのように見える。その通りで、ここが嘗ての平川。内堀は、平川の流れを活用している。この内堀と外堀の間、大手町、東京駅、丸の内の辺りは、嘗て、日比谷入江と言われた入江(海)だった(『神田橋JCT』のある東西方向は日比谷入江の海岸線、外堀通りとの接続点から、突如東に伸びているのは掘削して作った日本橋川)。その東に位置する日本橋、京橋、銀座は、新橋辺りまで舌状に突き出た半島で、『江戸前島』と呼ばれていた。尚、築地川が江戸前島の東の海岸線で、それより東の現在の築地は埋め立て地。銀座が銀座になる前、銀座は、本当に、『島』だったのである。因みに、何故こうも川が高速道路になっているのかというと、川は立ち退きの必要が無く買収が容易だったから。

安政5年(1858年)の銀座。外堀と築地川の間を流れるのは、三十間掘川。京橋川を京橋で渡ってすぐの中央通り(東海道)には、『新両替町』の文字が。既にあった金座が両替町だったので、銀座は、『新』と名付けられた。町名を見ると、『南紺屋丁』、『鎗(やり)屋丁』、『南鍋丁』など、職人街を表す町名が。

銀座が、今のような華やかな銀座になったのは明治になってから。明治5年(1872年)の和田倉門内で起きた大火で、銀座は一面焼け野原になった。経済の中心地、日本橋と、同年日本最初の鉄道として開業予定だった鉄道の始発・終点駅、新橋との間に位置する銀座を、帝都東京、文明開化の象徴として、銀座煉瓦街として再開発した。それまで、繁華街と言えば、上野、浅草、両国だったが、ここに、日本一の繁華街、銀座が誕生したのである。

明治13年(1880年)の銀座
しかし、銀座も、関東大震災には敵わなかった。震災によって、殆ど全ての建物が倒壊や火事で無くなってしまった。今も残る近代建築は、関東大震災後に、耐震を考慮し、当時の最先端建築法だった鉄筋コンクリートで建てられた建築たちである。銀座は、東京大空襲で甚大な被害を受けたが、これらは生き残った。

8丁目は、ボルドーしかないが、蔦の絡まる銀座最古のバーに是非訪れていただきたい。

7丁目、6丁目は、7丁目と6丁目の間の通り、交詢社通りの中央通り西側に近代建築が集中している。中でも銀座ライオンビアホールは、是非、店内に入っていただきたい。内装が素晴らしい。少し離れるが、TARU BARのある銀緑ビルもお忘れなく。

5丁目は何と言っても泰明小学校、4丁目は和光だ。和光は夜の方が良い。日産ギャラリーのある交差点角に立ち、和光の真っ正面から写真を撮ってください。

3丁目は松屋。中央通り側のファサードと、裏側の竣工当時のファサードを比べていただきたい。それと、裏側入り口から入り直ぐの1F吹き抜け大ホール、階段は、竣工当時のままです。ここも、是非、中に入っていただきたい。

2丁目はヨネイビル。ここも1Fがアンリなので中に入り易い。是非、中に。

1丁目は奥野ビルと鈴木ビル。スクラッチタイルが本当に美しいので、是非、じっくりと眺めていただきたい。

近代建築からは逸れるが、7丁目、8丁目の中央通りから西側は、嘗ての花街一等地、新橋から近いからか、クラブ街が銀座らしくて良い。是非、夜に訪問を。

1丁目、2丁目、3丁目の、東側、特に昭和通りより東のエリアは、『銀座』という言葉からは連想しづらい、昔ながらの街並みが残るエリア。奇跡的に東京大空襲の被害が無かったエリアだ。看板建築を楽しんでいただきたい。こちらは、建築を楽しむなら昼、飲むなら夜にどうぞ。

最後に、最もお気に入りの写真を。1丁目、奥野ビル。GXR A12 50mmで撮った。S10 (24mm)やiPhone (19mm)と、広角に慣れていたせいもあり、建物が入り切らず、構図に迷った。が、逆に、『構図をどう切り取ってやろうか』と、考える楽しみも覚えた。 広角の、近いものはより近く、遠いものはより遠く、ダイナミックな絵も楽しいが、50mmも楽しい。奥野ビルの特徴である丸窓とスクラッチタイルを入れ込み、全体を写さずとも奥野ビルを表すことにトライした1枚。『中国農民画展』が、今はアートギャラリーとして機能している奥野ビルを表しているし、駐車している車で丸窓が欠けているが、それも銀座らしい。三原通りを走る車は、シャッタースピードの関係で流れているが、銀座の賑わいと、そこにどっしりと鎮座し80余年の奥野ビルとの対比が面白い。それと、A12は、このヌメっとした質感が非常に良い。入口のステンレスの具合とか、ガラスに映り込むMINIの具合も非常によろしくありませんか? (この、『ヌメ感』は、奥野ビル エレベータ階数表示盤や、2丁目ヨネイビルのアンリ店内写真、出入口の光の具合にも現れている。)

2012年2月20日月曜日

Modern Architecture in Japan, Ginza 1-chome, Tokyo / 近代建築散歩 銀座1丁目

Okuno building
奥野ビル(旧銀座アパートメント)、昭和7年(1932年)竣工。嘗ての高級アパート。スクラッチタイルが美しい。
Round window of Okuno building
奥野ビル正面入り口と丸窓
Elevator indicator of Okuno building
奥野ビル、エレベータ階数表示。奥野ビルと言えばこの手動式エレベータ。
Suzuki building
鈴木ビル、昭和4年(1929年)竣工。これも、スクラッチタイル、丸窓が美しい。
Relief of Suzuki building
鈴木ビル レリーフ
Interior of Suzuki building
鈴木ビル エントランス
Iwase Hiromi store unknown when built
岩瀬博美商店、鈴木ビルの隣。竣工年不明も、間違いなく戦前だろう。スクラッチタイル、アーチ窓が美しい。
MIyawaki building
宮脇ビル、高層ビルの谷間にポツン。竣工年不明も、スクラッチタイルが美しい。
レリーフが美しい看板建築
スクラッチタイルの看板建築
2丁目に引き続き在った銅張看板建築
(English)

Here are modern architectures in Ginza 1-chome. The highlights of Ginza 1-chome are Okuno and Suzuki buildings. Both are selected as historic architectures by Tokyo Metropolitan area.

(Japanese)

銀座1丁目の近代建築。ここのハイライトは何と言っても奥野ビルと鈴木ビルだろう。共に、東京都選定歴史的建造物に選定されている。

2012年2月16日木曜日

Modern Architecture in Japan, Ginza 2-chome, Tokyo / 近代建築散歩 銀座2丁目

Yonei building built in 1930, at night
云わずと知れた、東京都選定歴史的建造物 ヨネイビル、昭和5年(1930年)竣工。一階は、アンリ。
Yonei building at day
ヨネイビル、昼
Interior of Yonei building
ヨネイビル、中も美しい。
Nichishiba building unknown when built
日柴ビル、ヨネイビル隣、こちらの1Fはノイハウス。竣工年不明。
一面アルミで覆われていて、一見すると近代建築らしくないが、
1階壁面のタイル(写真右側、ヨネイビル側)が、近代建築を思わせる。
Takeda building built in 1932
竹田ビル、昭和7年(1932年)竣工、スクラッチタイルが何とも美しい。
竹田ビル、階段親柱、雰囲気がある。
Miki building built in 1936
三木ビル本館、昭和11年(1936年)竣工。嘗て、並木座が入っていた。
ZELKOVA unknown when built
三木ビル本館隣の可愛らしい看板建築、スクラッチタイル
らーめん FUKUROU、1階部分がアールデコの看板建築
銅張スクラッチタイルのアパート(?)、これも銀座
酒造 秩父錦。原則、日本建築は取り扱わないのだが、あまりに見事だったので。
(English)

Here are modern architectures in Ginza 2-chome showing variety expression.

(Japanese)

様々な顔を見せる銀座2丁目の近代建築をどうぞ

2012年2月13日月曜日

Modern Architecture in Japan, Ginza 3-chome, Tokyo / 近代建築散歩 銀座3丁目

(English)

Here are modern architectures in Ginza 3-chome. Just 2 architectures remain.

(Japanese)

銀座3丁目の近代建築です。この2つだけが生き残っている。

Matsuya built in 1925
松屋、中央通り側からは想像できないが、大正14年(1925年)の竣工。当時の姿が残るのは、ここのみ。
Matsuya
当時の姿のクローズアップ
Matsuya Higashi Bekkan built in 1927
松屋東別館(旧日本酸素ビル)、昭和2年(1927年)竣工

2012年2月11日土曜日

Modern Architecture in Japan, Nihonbashi-Yokoyama-cho and Nihonbashi-Bakuro-cho, Tokyo / 近代建築散歩 日本橋横山町、日本橋馬喰町

Eagle building built just after Great Kanto earthquake of 1923
イーグルビル、詳細不明も関東大震災後に竣工された。アールデコがカッコイイ。
Crane Hill unknown when built
クレインヒル、竣工年不明も、嘗ては銀行だったそう。そう言われれば、典型的な銀行建築です。
Bakuro-cho building unknown when built
馬喰町ビル、竣工年不明も、そのままズバリ、『馬喰町』ビルという名前なので、この辺りにビルが建ち始めたころに建ったのだろう。
Ichioku Market Part 2 unknown when built
イチオクマーケット パート2、竣工年不明、レンガ風タイルは後付けと思われるも、アーチ窓、中央階段室の柱状装飾、屋根庇下装飾、屋根上装飾と、近代建築であることは間違いないだろう。これは、事前調査無しで偶然発見、嬉しい裏切りだった。
Miyairi Daini building unknown when built
宮入第二ビル、竣工年不明も、スクラッチタイルが近代建築の証。しかし、空き家でメンテナンスもされておらず。
Kaito building built in 1924
海渡ビル、1924年竣工。エントランスを残して改築。
Kaito building Entrance
海渡ビル エントランス
Ohara Daigo building built in 1929
大原第五ビル、1929年竣工。レリーフ、アーチ窓か良い。
Stairs of Ohara Daigo building
大原第五ビル 階段
(English)

Of course, Nihonbashi Yokoyama-cho and Bakuro-cho have the history like I introduced in other articles for other towns. But I'd like to this story. This changed my angle for modern architectures.

http://www.city.chuo.lg.jp/heiwa/shiryo/taikenki/kusyu/kusyu23.html

(Japanese)

勿論、日本橋横山町と馬喰町にも、他の街と同じように歴史がある。が、今回は、私の近代建築の見方を変えた、この話を聞いていただきたい。

Modern Architecture in Japan, Higashi-Nihonbashi, Tokyo / 近代建築散歩 東日本橋

Nikko building (Ex-Meriyasu) built in around 1928
二興ビル(旧メリヤスビル) 1928頃の竣工、アーチ窓と窓の縁取りが良い。が、汚れてるし空き家でした。
Tamaki pharmacy built in the last years of Taisho
靖国通りはよく通る道で、ここは、ちょうど信号待ちで止まることも多く、以前から気になっていた。スクラッチタイル、アーチ窓、レリーフが美しい。何より、しっかり現役で使われているのが良い。
Masuda building unknown when built
増田ビル、竣工年不明。これは、事前調査無しで偶然見つけた。こういう偶然は嬉しい。
(English)

Higashi-Nihombashi was Ryogoku. The present Ryogoku is located at the east side of Sumidagawa river. But before hanging Ryogokubashi bridge in 1659, Ryogoku was here, west side of Sumidagawa river.

Ex-Ryogoku, present Higashi-Nihonbashi was the biggest entertainment district of Edo. Around Yanagibashi, there are still old established restaurants. So we can feel the vestige of that. But Higashi-Nihonbashi is an office town.

(Japanese)

東日本橋は、嘗て、両国だった。今、両国といえば、隅田川東岸を指すが、1659年に両国橋が架けられる以前は、こちら側、隅田川西岸地区を両国と呼んでいた。

嘗ての両国、今の東日本橋は、江戸一番の歓楽街だった。柳橋周辺は、老舗も残っており、その雰囲気を感じられるが、今の東日本橋は、ただのオフィス街である。

2012年2月10日金曜日

One Hundred Famous Views of Edo by Hiroshige Utagawa, Spring No. 13 "Shitaya Hirokōji" / 江戸東京散歩 歌川広重 名所江戸百景 春 13景 下谷広小路

Present view
Painted by Hiroshige in 1856 - 1858
(English)

Remember No. 12 "Ueno Yamashita". The same party which was going to cherry-blossom viewing in Ueno was shown. These 2 prints, "Ueno Yamashita" and "Shitaya Hirokoji" were series.

The building shown in the middle-right of the print was Ito-ya which was established in 1611 at Nagoya. It changed the name to Matsuzakaya. And the Matsuzakaya is still stands here.

(Japanese)

春12景 上野山したを思い出していただきたい。御成道を向こうに歩いている花見に向かう御一行は、この絵にも登場している。ここは、下谷広小路の南の端で、ここを北に進むと、上野山下に出る。この2つの絵は、連作なのである。

画面中央右に描かれているのは、1611年に名古屋で創業したいとう屋だ。名前は松坂屋に変わったが、その松坂屋は今もまだそこに立っている。

松坂屋、創業400年。この絵が描かれた時点で既に247年経っている。大丸と合併したり、厳しい経営が続いているが、羨ましい。尚、その大丸は、秋74景 大伝馬町ごふく店に描かれている。

Map made in 1858
画面中央に、下谷広小路の文字が見える。

より大きな地図で 下谷広小路 を表示

2012年2月7日火曜日

Modern Architecture in Japan, Ginza 4-chome, Tokyo / 近代建築散歩 銀座4丁目

Wako building built in 1932 / 和光ビル、銀座の顔
Wako building before the quake / 震災前、ライトアップも派手だった頃の和光
Inside of Wako building / 和光ビル内部、アーチの飾りが美しい
Kyobunkan building built in 1932 / 教文館ビル、一見すると近代建築に見えないが、昭和7年(1932年)竣工
Inside of Kyobunkan building / 教文館ビル内部、中を見ると近代建築だと分かる。天井が美しい。
Nagoya Shokokaikan / 名古屋商工会館、竣工年不明も、塗り直してはいるがスクラッチタイルが近代建築の証拠
Tobayoko building built in 1932 / 鳥羽洋行ビル、スクラッチタイル落下防止のネットが掛けられ、テナントも誰も入っておらず、取り壊し間近。となりの大工事は、1924年竣工で、現在、建て替え中の歌舞伎座
Miharabashi Kankokan
三原橋観光館、昭和27年(1952年)竣工。
戦後の建築は取り扱わない原則で来てたが、これは特別。理由はデザインと・・・
・・・この銀座らしい風景、昭和27年の低いビルと、デザインを凝らした最近のビルが混在している。
(English)

The highlight of Ginza 4-chome is Wako. In 1894, the original (first) was built. In the beginning of Taisho, it had been planned to re-built. But in 1923, Great Kanto earthquake of 1923 happened. So re-built started in 1929.

Wako is still the "Face" of Ginza.

(Japanese)

銀座4丁目のハイライトはやはり和光だろう。1894年に、初代の和光ビル(当時は服部時計店)が竣工された。大正に入り、改築が計画されたが、1923年の関東大震災で延期され、1929年に再開、1932年、今の和光ビルが竣工された。

和光は、今も、銀座の顔である。